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無産政党 むさんせいとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

無産政党
むさんせいとう

日本近代史上,明治後期から第2次世界大戦前までの間集散を繰返した共産党を除く各労働者,農民政党の総称として用いられる。 1901年結成された社会民主党に始る。 10年の大逆事件により一時活動は沈滞したが,25年普通選挙法通過後,再び活発化した。同年農民労働党 (即日禁止) ,翌 26年には労働農民党が結成されたが,まもなく内部対立が表面化し,右派の社会民衆党,左派の労働農民党,中間派の日本労働党に分裂。 28年第1回普通選挙では無産諸政党全体で8名の議員が当選した。同年4月労働農民党は解散させられた。のち無産政党はさらに離合集散を繰返したが,31年7月全国労農大衆党を経て 32年7月社会大衆党が結成されるに及び,一応無産政党の統一がなされた。 40年近衛新党に参加するため解散。第2次世界大戦後各派が合同し日本社会党を結成するにいたった。

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デジタル大辞泉の解説

むさん‐せいとう〔‐セイタウ〕【無産政党】

労働者や貧農など無産階級の利益や意思を代表する政党。

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百科事典マイペディアの解説

無産政党【むさんせいとう】

労働者・農民など無産階級の利益を代表する政党。第2次大戦前の日本ではこのうち非合法の日本共産党を除く諸党の総称として慣用的に使われた。1901年創立の社会民主党(即日禁止)に始まる。
→関連項目大山郁夫建設者同盟全国大衆党全国民衆党

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世界大百科事典 第2版の解説

むさんせいとう【無産政党】

戦前日本の合法的な社会主義政党および社会民主主義政党の総称で,日本共産党は含まない(図)。1918年の米騒動以後民衆諸階層の組織化が進んだが,20年ごろから労働者階級とその他被支配階級を全体として無産階級という言い方が一般化した。
[歴史]
 1922年に発表された共産党の指導者山川均の論文《無産階級運動の方向転換》は,日本の革命運動の大衆化とともに,民衆運動の政治闘争化をめざしたものである。23年山本権兵衛内閣の普選実施声明によって無産政党の組織化は現実の政治課題となり,日本労働総同盟(総同盟),日本農民組合(日農)はその具体的検討に着手,また24年嶋中雄三,鈴木茂三郎,大山郁夫,高橋亀吉など知識層を主体に結成された政治研究会は政党の綱領・規約を研究,機関誌《政治研究》を発行した。

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大辞林 第三版の解説

むさんせいとう【無産政党】

無産階級の利益を代表する合法的な政党。特に、普通選挙法が成立して以後の日本で、共産党を除く社会主義および社会民主主義政党を総称していう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

無産政党
むさんせいとう

第二次世界大戦前の日本における社会民主主義諸政党の総称。非合法共産党は除く。1920年代に普及していた無産階級という語がこの名称の起源といわれる。1923年(大正12)ごろより、普通選挙の実現を目ざして日本労働総同盟、日本農民組合などを中心に無産政党結成の動きが始まった。しかし、労働運動内部の左右の対立、政党結成の主導権争いもあってなかなか進まず、25年1月にようやく農民労働党が誕生したが、即日結社禁止の処置を被る。ついで同党は26年3月に左派を排除した労働農民党(労農党)を再建したが、党内が左傾化したため10月には右派が脱党、以後同党は共産党系の合法政党として活動する。脱党派は同年12月に社会民衆党と日本労農党を結成するが、この二つの無産政党はそれぞれ、前者は右派系、後者は左・右両派を排除する中間派系の社会民主主義政党の原型となった。以後、日本の無産政党運動は、29年(昭和4)11月に結成された左派系の労農党(新労農党)を加えて、左・右・中間の三派の対立、離合集散を繰り返しつつ困難な状況のなかで民主主義運動を闘う。普通選挙実施後最初の総選挙では無産政党は全体で49万票(得票率5%)、当選者8名を獲得したが、30年得票数52万票、当選者5名、32年26万票、5名と伸び悩んだ。36年の総選挙では、ファッショ化の危機感のなかで無産政党は22議席を獲得したが、日中戦争開始後は受難と変節の時代を迎える。すなわち、37年12月には左派系の日本無産党(3月結成)が解散を命じられ、また中間派と右派の合同した社会大衆党(1932年7月結成)は戦争協力の態度を表明し、40年7月には解党して大政翼賛会に合流、ここに約15年にわたる無産政党運動はその幕を閉じた。無産政党運動の弱さは政党それ自体の組織論や闘争方法にも問題があったが、基本的には日本の民主政治の未成熟によるものであった。[田中 浩]

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