健軍新戦場跡(読み)けんぐんしんせんじようあと

日本歴史地名大系 「健軍新戦場跡」の解説

健軍新戦場跡
けんぐんしんせんじようあと

現在の健軍町辺りを中心とした、明治一〇年(一八七七)西南戦争の熊本平野における激戦地の一つ。熊本城包囲を解いて木山きやま(現上益城郡益城町)に撤退した西郷軍(桐野利秋)大津おおづ(現菊池郡大津町)木山御船みふね(現上益城郡御船町)を確保、西郷軍の精鋭は健軍・保田窪ほたくぼに陣を築き、熊本城攻略の機をうかがっていた。これに対し政府軍側は四月一八日、熊本鎮台は健軍、別働第五旅団は保田窪、第一・第二旅団は大津、第三旅団は二重ふたえ(現阿蘇郡阿蘇町)、別働第一・第二旅団は隈庄くまのしよう(現下益城郡城南町)、第三旅団は甲佐こうさ(現上益城郡甲佐町)御船へ進出し、第四旅団は総軍後援のため立田たつだ山に陣取った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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