御船(読み)みふね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「御船」の意味・わかりやすい解説

御船(町)
みふね

熊本県中部、上益城郡(かみましきぐん)にある町。1889年(明治22)町制施行。1918年(大正7)に滝川(たきがわ)村を合併し、1955年(昭和30)滝水、七滝(ななたき)、木倉(きのくら)、高木、豊秋(とよあき)、小坂(おざか)、陣(じん)の7村と合併。町名は、景行(けいこう)天皇が九州西征のおりこの地に船を着けたとの伝承に由来する。御船川台地ならびに低地と、北東隅の吉無田(よしむた)高原を除けば、全域、低山地性の御船山地からなる。中心集落の御船地区は渓口にあたり、久しく物資集散地として機能してきた。ヒノキスギの育成林業、茶栽培、畜産などは現在も変わらないが、1976年に九州自動車道御船インターチェンジの開設をみた西端部では、宅地造成が急速に進展し、熊本市のベッドタウンの様相を呈している。付近には御船城跡、今城大塚古墳(いまじょうおおつかこふん)、儒者松崎慊堂(こうどう)屋敷跡、県鳥獣保護センター、吉無田高原緑の村などがある。面積99.03平方キロメートル、人口1万6303(2020)。

[山口守人]

〔2016年熊本地震〕2016年の熊本地震では、4月16日1時25分の地震で震度6弱を観測するなど大きな揺れに見舞われた。この地震による町内被害は、関連死を含め死者10名(うち警察検視によって確認された死者は1名)、重傷者11名、住家全壊444棟にのぼり、罹災世帯数は2838を数えている(平成30年5月11日『平成28(2016)年熊本地震等に係る被害状況について【第272報】』熊本県危機管理防災課ほか)。

[編集部]

『『御船町十年史』(1965・御船町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「御船」の意味・わかりやすい解説

御船[町] (みふね)

熊本県中央部,上益城(かみましき)郡の町。人口1万7888(2010)。北東部阿蘇外輪山の南西斜面,中南部は九州山地に属する山地や丘陵で占められる。西部は熊本平野の一角で緑川の支流御船川が流れる。御船の名は,かつて有明海がこの付近まで湾入しており,景行天皇が九州巡幸の際,ここで船をおりて阿蘇へ向かったという伝説にちなむ。中心集落の御船は,中世,阿蘇氏,さらには甲斐氏らの拠る御船城の城下にできた町屋が起源とされ,近世には御船川舟運の河港,市場町として栄えた。明治期には船で運ばれる良質米を用いた酒造業が盛んであったが,現在は衰退し,白壁の酒蔵に昔のおもかげをとどめている。米,タバコ,ミカン,茶の栽培や養蚕などの農業が主産業で,杉,ヒノキの産も多い。御船城跡のほか,西南戦争の激戦地となった妙見坂には熊本隊兵士の墓地,砲台跡などの史跡がある。南東端には風神鍾乳洞がある。西境近くを九州自動車道が走り,御船インターチェンジが設置されている。
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百科事典マイペディア 「御船」の意味・わかりやすい解説

御船[町]【みふね】

熊本県中部,上益城(かみましき)郡の町。西部は熊本平野南東部,緑川の支流御船川の流域,東部は丘陵地。御船川に沿う主集落はかつては酒造業で知られた。九州自動車道が通じる。良質の米を産し,タバコ,肉牛,野菜なども産する。近年は熊本市の郊外住宅地化が顕著。99.03km2。1万7888人(2010)。

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