日本歴史地名大系 「傍示塚村」の解説 傍示塚村ほうじつかむら 群馬県:館林市傍示塚村[現在地名]館林市傍示塚町北を矢場(やば)川が蛇行して南流し、東は上早川田(かみさがわだ)村、西は木戸(きど)村、南は足次(あしつぎ)村。北は矢場川を隔てて下野国梁田(やなだ)郡野田(のだ)村(現栃木県足利市)と相対する。宝徳二年(一四五〇)五月三日の小野寺朝通譲状案と同言上状(小野寺文書)に足利(あしかが)庄内「芳志塚」とみえ、下野国小野寺(おのでら)(現栃木県下都賀郡岩舟町)を本拠地とする小野寺氏譜代の本領で、朝通は還補の証判を下されるよう言上している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by