僧都村(読み)そうずむら

日本歴史地名大系 「僧都村」の解説

僧都村
そうずむら

[現在地名]城辺町僧都

僧都川の水源観音かんのん(七八二メートル)の東山麓に位置し、六〇〇から七〇〇メートル級の山に囲まれる険しい谷間の村。西は観音岳を挟んでかしわ(現内海村)に接し、南は大岩道だいがんどうを越えて長月ながつき(現御荘町)に、北は小岩道しようがんどうを越えて上槇かみまき(現北宇和郡津島町)に通ずる。大岩道・小岩道ともに五〇〇メートルを越える峠で、「墅截」には「在所故人馬送ニ難儀之由」と記されている。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「左右水村 深山之内、谷深キ所、小川有」と村名がみえ、古くは「左右水」と記された。村の言伝えによると、万治元年(一六五八)伊達侯が「僧都」と改めたといい、宝永三年(一七〇六)の「大成郡録」には「僧都」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む