南宇和郡(読み)みなみうわぐん

日本歴史地名大系 「南宇和郡」の解説

南宇和郡
みなみうわぐん

面積:二四一・五五平方キロ
内海うちうみ村・御荘みしよう町・城辺じようへん町・西海にしうみ町・一本松いつぽんまつ

愛媛県西南端に位置する。郡の東北部にはささ(一〇六五メートル)などの高山があり、西部には由良ゆら半島、高茂こうも岬等が豊後水道に突出し、複雑なリアス海岸を形成している。南部には僧都そうず川が流れて平野部を造成し、東は高知県との県境正木まさき川が流れ、北は北宇和郡津島つしま町に接する。

〔原始〕

御荘町深泥みどろ遺跡の最下層部から出土したハンド・アックス、城辺町みどり遺跡から出土したホルンフェルスの縦長剥片は旧石器文化に属するといわれる。また御荘町の平城ひらじよう貝塚・節崎ふつさき遺跡、城辺町の天嶬鼻てんぎのはな遺跡など、御荘湾岸には縄文文化の遺跡が多く、御荘町の法華寺ほつけじ遺跡等の弥生時代の遺跡と併せて、この地域が先史時代から開けていたことがわかる。

〔古代〕

当郡は古代においては宇和郡に所属していた。「賀茂注進雑記」によると、寛治四年(一〇九〇)七月一三日、京都賀茂社の御厨のなかに「伊予国宇和郡六帖網 伊予国内海」とみえ、御厨供祭人が現地に在住していた。この内海が近世における内海浦に比定され、宇和郡六帖網とともに賀茂社の御厨として開発されている。

〔中世〕

中世における宇和郡地域の開発は、観自在かんじざい(現御荘町平城)を中心に進められた。鎌倉期に同寺は、延暦寺の十楽じゆうらく院門跡が管領する一子院勝蓮華しようれんげ院の荘園であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報