日本歴史地名大系 「元伊佐町」の解説 元伊佐町もといさちよう 京都市:上京区桃薗学区元伊佐町上京区今出川通大宮東入今出川(いまでがわ)通が東西に通り、通り以南は中世の村雲(むらくも)の地。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「本伊佐町」、寛永一八年以前平安城町並図には「いさとの町」、正徳・享保間京大絵図には「いさとのづし」と記される。「坊目誌」は天文年間(一五三二―五四)足利義輝の家臣野本式部少輔輝久の妻伊佐が亡夫のため草庵を構え、人が伊佐殿とよんだのを町名の由来とし、寺は輝久の法号をとり慧光(えこう)寺と号したが、のち浄福寺笹屋町の南(笹屋町一丁目)に移った。町の北側にあった建勲(たけいさお)神社旅所の地は、本能寺の変での死者の墓跡である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by