光隆寺跡(読み)こうりゆうじあと

日本歴史地名大系 「光隆寺跡」の解説

光隆寺跡
こうりゆうじあと

[現在地名]宇佐市北宇佐 光隆寺

北宇佐の中央部にある。当寺は嘉暦二年(一三二七)宇佐大宮司に任ぜられた宇佐公敦が建立した寺院といい(年未詳一一月一四日「宮成公建申状」宮成文書)開山である円通えんつう(現臨済宗大徳寺派)在庵の隠居寺であったと伝える。正平一九年(一三六四)七月日の小山田社免田坪付并名主交名注進状(小山田文書)によると、向野むくの郷内「小山田カイモトノニレノキ」の一反は光隆寺知行であった。文明九年(一四七七)七月一日の当寺領下毛郡東浜ひがしはま(現中津市)の坪付(永弘文書)も残されているが、永禄一〇年(一五六七)三月七日の大宮司宮成社恩地坪付(宮成文書)によると、寺領は豊前国上毛郡・下毛郡と宇佐郡内封四郷のうちに散在していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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