入布施村(読み)いりぶせむら

日本歴史地名大系 「入布施村」の解説

入布施村
いりぶせむら

[現在地名]望月町布施

布施川沿い牧布施まきぶせ村の南に位置し、東は矢島やしま(現浅科村矢島)、西は丘陵を境に片倉かたくら村に接する。「入」は奥を意味し、中世まで蓼科たてしな山の北麓、布施谷南部が境域。

文明一六年(一四八四)大井氏滅亡以後、戦乱のため荒廃したが、慶長・元和(一五九六―一六二四)の頃に至ってようやく安定する。天正六年(一五七八)の上諏訪大宮同前宮造宮帳には「瑞籬一間 布施之郷」とあって、布施谷が一郷扱いであったもののごとく、慶長一五年の仙石秀久宛行状に初めて「入布施組之内」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報