朝日日本歴史人物事典 「入来院定心」の解説
入来院定心
鎌倉初期の御家人。相模の御家人渋谷氏の光重の子。別名は曾司五郎。光重は宝治1(1247)年の宝治合戦の勲功賞として得た薩摩国(鹿児島県)の川内川流域の薩摩郡地頭職を,東郷を次男,祁答院を3男,鶴田を4男,入来院を5男定心,高城を6男にと5兄弟に分割譲与した。兄弟・子孫は現地に移り地名を姓とし勢力を拡大,のちに渋谷五族といわれた。定心は相模渋谷庄,伊勢,上野,美作各国にも所領があったが,宝治年間(1247~48)に家臣本田,種田,勝田氏らを従え入来院元村に入り,塔之原名主寄田信忠らと抗争しつつ在地勢力を組織。建長2(1250)年定心大庭帳で子息に所領を分割譲与し,御家人の心得を説いた。<参考文献>『入来文書』
(三木靖)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報