入田郷(読み)にゆうたごう

日本歴史地名大系 「入田郷」の解説

入田郷
にゆうたごう

豊後国風土記」「和名抄」にはみえない。豊後国弘安田代注進状に「直入郡百七十町 本郷百町、入田郷三十町、合直入」とある。この記載によれば、入田郷は本来本郷すなわち直入なおいり郷の一部で、いつの頃か独立した中世的所領である。中世にみえる名などの名前から現在の竹田市の入田・太田おおた田井たい倉木くらき神原こうばる次倉つぎくら九重野くじゆうの吉田よしだなど同市南部一帯に比定される。文中四年(一三七五)六月一三日の懐良親王令旨写(阿蘇家文書)と天授元年(一三七五)一〇月三日の懐良親王令旨(大友松野文書)に「豊後国入田庄并小川事」とあるが、入田郷が正式名称である。天文一九年(一五五〇)のいわゆる大友二階崩れの変に伴う入田親誠攻略後、大友義鎮志賀親守に「入田拾弐名之内三拾貫分」を与えている(同年六月二八日「大友義鎮知行預ケ状」志賀文書)。これによれば、入田郷内には一二の名があったことになる。確認できる郷内の名に矢倉やぐら名・太田名(貞和四年一〇月一四日「志賀頼房請文案」同文書)、吉田名(明応七年三月一八日田井小野六地蔵幢銘)、次倉名(弘治二年八月三日「大友義鎮寄進状」大恩寺文書)大塚おおつか(年未詳八月一七日「大友宗麟安堵状」田村文書)がある。やはり天文一九年入田親誠攻略後、大友義鎮は志賀鑑綱に「入田跡九重名之内三拾貫分」(六月二八日「大友義鎮知行預ケ状」大友家文書録)、田北中務少輔に「小河名之内、入田信濃守跡三拾貫分」(八月二三日「大友義鎮知行預ケ状写」田北次彦文書)を宛行っているが、郷名は欠くものの入田氏没収領であることからすれば、九重名・小河おがわ名ともに入田郷内であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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