朝日日本歴史人物事典 「大友頼泰」の解説
大友頼泰
生年:貞応1(1222)
鎌倉中後期の武士。幼名薬師丸,初名泰直。大炊助,丹後守,出羽守,兵庫頭。法名道忍。父は大友家2代親秀,母は三浦家連の娘。仁治3(1242)年以前に豊後守護職,鎮西一方奉行職を得ている。文永・弘安の役(1274・1281)では,少弐氏と共に御家人を率いて大将として活躍した。戦後,幕府は恩賞問題の幕府出訴を止めるために,弘安9(1286)年に鎮西談議所を設けたが,頼泰もこのメンバーとなっている。また,鎮西寺社の復興や豊後国図田帳の作成などにも活躍。大友氏惣領家は,頼泰の代から本拠を豊後府内に置くようになった。
(飯沼賢司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報