日本歴史地名大系 「入船町八丁目」の解説 入船町八丁目いりふねちようはつちようめ 東京都:中央区旧京橋区地区入船町八丁目[現在地名]中央区明石町(あかしちよう)明治元年(一八六八)起立。入船町七丁目の南にあり、西は築地堀を隔て築地二丁目、東は新栄(しんえい)町七丁目。南も築地堀に限られ、南西端に堺(さかい)橋が架かる。起立時には入船町八丁目・同九丁目であったとみられる。幕末には陸奥棚倉藩(のち武蔵川越藩)松平(松井)氏中屋敷・遠江相良藩田沼氏下屋敷・丹波篠山藩青山氏下屋敷。沿革図書によれば江戸時代前期から播磨赤穂藩浅野氏上屋敷。浅野氏が元禄一四年(一七〇一)に断絶して以後は旗本堀氏・五島氏らの屋敷地に細分され、文久二年(一八六二)以前には前掲三藩の屋敷地となった。明治元年築地外国人居留地となり、同四年入船町七丁目として起立され、東京商社の地となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by