日本歴史地名大系 「全徳村」の解説 全徳村ぜんとくむら 大分県:中津市全徳村[現在地名]中津市全徳大貞(おおさだ)台地の北端部に位置し、西は合馬(おうま)村、北は周防灘。正安元年(一二九九)八月二二日の鎮西下知状(到津文書)に「八幡宇佐宮神官等申当宮領豊前国野仲郷内全得・世永両名事」とみえ、当時この地は宇佐宮領で全得名といっていたが、武士が支配するようになっていた。嘉元三年(一三〇五)には御許山(おもとさん)前座主野仲道性房円空が、薦(こも)社権惣検校重実より譲りを得たと称して、数百騎の人勢を率いて押領する事件があり、永仁(一二九三―九九)の徳政令や正和(一三一二―一七)の神領興行が絡んで、この時期複雑な動きがあった(年月日未詳「鎮西探題裁許状」宮成文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報