20世紀日本人名事典 「八原博通」の解説
八原 博通
ヤハラ ヒロミチ
        
              昭和期の陸軍大佐 陸軍第32軍高級参謀。
- 生年
 - 明治35(1902)年10月2日
 - 没年
 - 昭和56(1981)年5月7日
 - 出身地
 - 鳥取県米子市
 - 学歴〔年〕
 - 陸大卒
 - 経歴
 - 昭和5年陸軍省人事局付、7年同課員となり、8〜10年アメリカ駐在。12年陸軍大学校戦術教官となり、日中戦争が始まると第2軍、第5軍参謀として華北・華南を転戦。13年陸大教官にもどる。15年大本営付となり兵要地誌調査のためタイ、マレーに潜入。16年大本営作戦参謀、タイ大使館付武官補佐官、第15軍作戦参謀、17年陸大教官、18年大佐、19年第32軍高級参謀(作戦主任)となる。沖縄戦の持久作戦方針を立案したことで知られ、攻勢作戦をのぞむ陸軍中央や第32軍の長勇参謀長らと対立した。20年捕虜、翌年復員。著書に「沖縄決戦」がある。
 
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

