八多喜村(読み)はたきむら

日本歴史地名大系 「八多喜村」の解説

八多喜村
はたきむら

[現在地名]大洲八多喜町はたきまち

ひじ川河口より一〇キロさかのぼった東北岸の氾濫原上の村。手成てなる村の西禅寺文書のうち、貞治二年(一三六三)一一月二四日付の請状に「請申田地の事 合弐反は 在所くほ田 八多喜寺のかみ」とあるのが初見。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多きた郡の項に「八多喜村 日損所、水損所、茅山有、川有」とあり、一千石を超える大村

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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