肱川(読み)ヒジカワ

デジタル大辞泉 「肱川」の意味・読み・例文・類語

ひじ‐かわ〔ひぢかは〕【肱川】

愛媛県西部を流れる川。大洲おおず市南部の鳥坂とさか峠(標高460メートル)付近に源を発して北流し、同市長浜町伊予灘に注ぐ。長さ103キロ。流域は林業が発達し、河岸段丘では酪農が盛ん。大小300を超える支流がある県下最大の河川。

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日本歴史地名大系 「肱川」の解説

肱川
ひじかわ

東宇和郡宇和町鳥坂とさか峠付近に発し、宇和盆地を南流したのち東流し、野村のむら盆地を経て野村町坂石さかいしで西流してきた黒瀬くろせ川を合わせ、四国山地の峡谷を北流して喜多きた郡に入り、鹿野川かのがわ(人造湖)を経て、内山うちやま盆地を南流してきた小田おだ川を合し、大洲おおず市内を西流し、大洲盆地に入ってのち北西流して、喜多郡長浜ながはま町で伊予灘に注ぐ。幹線流路一〇三キロで、四七五もの支流を合わせる県下一の大河。

近世、流域を主たる自領とする大洲藩にとって、肱川は領内の政治・経済上の一大動脈となっていた。米・大豆の貢租をはじめ、上流域の材木・薪炭など林産物、中流域の蔬菜・穀物・繭・杞柳など農産物、小田川流域生産の和紙・晒蝋・木炭・農産加工品や大瀬おおせ(現喜多郡内子町)の銅鉱石は、川舟(長材は筏)で大洲や長浜へ運輸され、長浜からは藩外へも輸出された。

明治末期には、二〇〇艘を超える川舟があり、坂石、すずり鹿野川かのがわ(現喜多郡肱川町)宇津うづ柚木ゆのき五郎ごろう八多喜はたき(現大洲市)加屋かや須合田すごうだ・長浜(現喜多郡長浜町)や小田川流域の内子うちこ(現喜多郡内子町)五十崎いかざき(現喜多郡五十崎町)など、四〇余の河港があり、在町として舟荷の商品売買で賑った港もあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「肱川」の意味・わかりやすい解説

肱川(川)
ひじかわ

愛媛県下最大の河川で、延長103キロメートル。流域面積1210平方キロメートル。一級河川。西予(せいよ)市、上浮穴(かみうけな)郡、伊予市、喜多郡、大洲(おおず)市一帯を流域とする。肱川本流の水源は、西予市宇和町久保の正信(まさのぶ)の標高460メートルの所で、ここから南流し宇和盆地を通過し、野村盆地に入ってから北東に迂回(うかい)し黒瀬川をあわせる。さらにその下流で北西に向きを変え、鹿野川(かのがわ)ダムに達し、河辺(かわべ)川、小田川をあわせ大洲盆地に入り、ここで矢落(やおち)川が合流する。ここから北西にほぼ直線状に先行性河川となって伊予灘(なだ)に流入する。このように肱川は支流が多く、大小あわせて311もある。また水量が豊かで、河川勾配(こうばい)が小さいため古来水害が多く、とくに大洲盆地では河川が周辺から集中するので、江戸時代から大洪水が頻発した。1953年(昭和28)以降肱川総合開発により、鹿野川ダム、野村ダムが建設され、洪水防止だけでなく、広く南予の水資源の供給に役だっている。

[深石一夫]



肱川(旧町名)
ひじかわ

愛媛県中南部、喜多郡(きたぐん)にあった旧町名(肱川町(ちょう))。現在は大洲市(おおずし)の中央部東寄りを占める地域。旧肱川町は、1959年(昭和34)町制施行。2005年(平成17)長浜町、河辺(かわべ)村とともに大洲市に合併。国道197号が通じる。肱川中流の山村で、四国山地に位置し、低地は1%にすぎない。近世には大洲(おおず)、宇和島新谷(にいや)の藩領が入り組み、肱川水運は土佐(高知県)と伊予(愛媛県)との重要な交易路であった。1930年代まで川舟が航行した。ハゼノキを栽培して製蝋(せいろう)が行われ、和紙原料のコウゾ栽培などがみられたが、第二次世界大戦後は養蚕、シイタケ・クリ栽培が中心。1959年に鹿野川ダム(かのがわだむ)が完成し、肱川の氾濫(はんらん)が防止され、鹿野川湖周辺は肱川県立自然公園に指定された。

[横山昭市]

『『肱川町誌』(1977・肱川町)』『『新編肱川町誌』(2003・肱川町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「肱川」の意味・わかりやすい解説

肱川 (ひじかわ)

愛媛県西部の川。大洲(おおず)市と西予市の旧宇和町の境界にあたる鳥坂(とさか)峠(460m)付近に発し,はじめは南流して旧宇和町に至り,流路を東に変えて同市の旧野村町坂石に達する。坂石からは四国山地に対して横谷を形成する先行性河川として北流し,大洲市中心部を経て同市の旧長浜町で伊予灘に注ぐ。愛媛県下最大の河川で,幹川流路延長103km,全流域面積1210km2。支流の数の多さでは日本で5番目といわれ,流域に内山,野村,宇和,大洲などの小盆地を発達させている。水量が豊かで河床こう配が緩やかなため,明治末期まで交通路としてよく利用されており,上流からは農林産物,下流からは生活物資が川舟やいかだで運ばれた。川舟の終点は,本流では河口から40kmの坂石,支流の小田川では喜多郡内子町内子であった。

 いくつかの支流を集める大洲盆地は,古くから洪水常襲地域であったため,肱川流域総合開発事業の一環として1953年から喜多郡肱川町(現,大洲市)鹿野川に,洪水調節用とて発電用を兼ねた鹿野川ダム(総貯水量4万8200m3,最大出力1万0400kW)が建設され,58年に完成した。さらに80年には野村に野村ダム(総貯水量1万6000m3)が完成し,2段構えの洪水調節機能が果たされて大洲盆地は洪水から守られることになった。宇和島市八幡浜市などのミカン畑約5670haに灌漑用水として送られるほか,上水道用水としても利用されている。また大洲市では1957年から水郷景観を利して鵜飼いを導入するなど観光開発にも力を入れている。
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肱川(旧町) (ひじかわ)

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百科事典マイペディア 「肱川」の意味・わかりやすい解説

肱川【ひじかわ】

愛媛県西部の川。長さ103km。流域面積1210km2。大洲市南境の鳥坂峠付近に発する宇和川が段丘を形成して曲流し,小田川を合し,大洲市街を経て長浜町(現・大洲市)で伊予灘に注ぐ。水量が多く,古くは大洲藩の政治・経済の重要な水路で,河口から野村町まで舟運があった。1959年完成した肱川町(現・大洲市)の鹿野川ダム付近は観光地。
→関連項目愛媛[県]小田[町]四国山地長浜[町]野村[町]肱川[町]

肱川[町]【ひじかわ】

愛媛県中部,喜多郡の旧町。大部分が山地で,肱川と河辺川の合流点に主集落が発達。木材,タバコ,肉牛,クリ,シイタケなどを産する。鹿野川ダム,小藪(おやぶ)温泉がある。2005年1月喜多郡長浜町,河辺村と大洲市へ編入。63.30km2。3119人(2003)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「肱川」の意味・わかりやすい解説

肱川
ひじかわ

愛媛県西部を北西に流れる川。全長 102km。上流を宇和川と称し,大洲盆地を流れ,大洲市北西の長浜伊予灘に注ぐ。河川規模に比べて平地が少なく,河口部でも沖積低地がほとんど開けていない。陸運の発達するまでは河口から坂石 (→野村 ) まで川舟が通い,木材流しにも利用された。流域は古来洪水が多かったが,1951年四国西南総合開発特定地域に指定され,1959年肱川町に鹿野川ダム,大洲盆地に堤防が完成し,水害は減少した。 1981年に野村ダムが完成。発電,各種用水に利用。川床の砂利は良質な建築材。大洲の鵜飼いは有名。鹿野川湖周辺は肱川県立自然公園に属する。

肱川
ひじかわ

愛媛県南西部,大洲市南東部の旧町域。肱川中流域に位置する。 1943年河辺村,宇和川村,大谷村の3村が合体して肱川村となり,1955年貝吹村,横林村両村の一部を編入。 1959年町制。 2005年大洲市,長浜町,河辺村と合体し大洲市となる。山地が大部分を占め,林業が主産業。スギ,ヒノキが植林され,米作のほか,シイタケ,クリ,タバコの栽培が行なわれる。人造湖の鹿野川湖畔は肱川県立自然公園の中心で,サクラと川魚料理,ヘラブナ釣りで有名。中野三島神社にはイチイガシの老木がある。大谷文楽と山鳥坂の鎮縄 (しめ) 神楽を伝える。

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世界大百科事典(旧版)内の肱川の言及

【大洲[市]】より

…愛媛県西部,肱(ひじ)川中流域の大洲盆地を中心とする市。1954年大洲町と平野,南久米,菅田,大川,新谷,柳沢,三善,粟津,上須戒の9村が合体して市制。…

※「肱川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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