東宇和郡宇和町
近世、流域を主たる自領とする大洲藩にとって、肱川は領内の政治・経済上の一大動脈となっていた。米・大豆の貢租をはじめ、上流域の材木・薪炭など林産物、中流域の蔬菜・穀物・繭・杞柳など農産物、小田川流域生産の和紙・晒蝋・木炭・農産加工品や
明治末期には、二〇〇艘を超える川舟があり、坂石、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛媛県西部の川。大洲(おおず)市と西予市の旧宇和町の境界にあたる鳥坂(とさか)峠(460m)付近に発し,はじめは南流して旧宇和町に至り,流路を東に変えて同市の旧野村町坂石に達する。坂石からは四国山地に対して横谷を形成する先行性河川として北流し,大洲市中心部を経て同市の旧長浜町で伊予灘に注ぐ。愛媛県下最大の河川で,幹川流路延長103km,全流域面積1210km2。支流の数の多さでは日本で5番目といわれ,流域に内山,野村,宇和,大洲などの小盆地を発達させている。水量が豊かで河床こう配が緩やかなため,明治末期まで交通路としてよく利用されており,上流からは農林産物,下流からは生活物資が川舟やいかだで運ばれた。川舟の終点は,本流では河口から40kmの坂石,支流の小田川では喜多郡内子町内子であった。
いくつかの支流を集める大洲盆地は,古くから洪水常襲地域であったため,肱川流域総合開発事業の一環として1953年から喜多郡肱川町(現,大洲市)鹿野川に,洪水調節用とて発電用を兼ねた鹿野川ダム(総貯水量4万8200m3,最大出力1万0400kW)が建設され,58年に完成した。さらに80年には野村に野村ダム(総貯水量1万6000m3)が完成し,2段構えの洪水調節機能が果たされて大洲盆地は洪水から守られることになった。宇和島市,八幡浜市などのミカン畑約5670haに灌漑用水として送られるほか,上水道用水としても利用されている。また大洲市では1957年から水郷景観を利して鵜飼いを導入するなど観光開発にも力を入れている。
執筆者:門田 恭一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…愛媛県西部,肱(ひじ)川中流域の大洲盆地を中心とする市。1954年大洲町と平野,南久米,菅田,大川,新谷,柳沢,三善,粟津,上須戒の9村が合体して市制。…
※「肱川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新