八木沼郷(読み)やぎぬまごう

日本歴史地名大系 「八木沼郷」の解説

八木沼郷
やぎぬまごう

新田につた庄内の郷で、鎌倉時代は新田本宗家の所領。新田氏の祖源義重の根本私領空閑の一つ。矢木沼とも記す。畠作中心の郷で、史料上水田は確認できない。仁安三年(一一六八)六月二〇日の新田義重置文(長楽寺文書)で、妻を介してその子らいわうに譲られた。その後、新田惣領家の所領になったらしく、正和三年(一三一四)・同四年に新田義貞の父朝兼が使者船田政綱を立てて、郷内の在家三宇・畠五町六反および道念給分跡在家一宇・弥三郎跡在家一宇・畠三町八反を、それぞれ七〇貫文、一〇〇貫文で由良景長の妻で大谷道海娘の紀氏女に売却し(同三年五月二八日「新田朝兼在家畠地売券」同文書など)、それぞれ幕府の買地安堵を受けた(同三年八月二三日「関東下知状」同文書など)

その後義貞が郷地頭職伝領し、文保二年(一三一八)一〇月六日に郷内在家七宇・畠一五町七反を三二三貫文で先の紀氏女に売却して(「新田義貞売券案」長楽寺文書)、同年幕府の認可を得た(同年一二月二三日「関東下知状案」同文書)。義貞はこの他にも、売却年月日は未詳ながら郷内在家四宇・畠八町九反二四〇歩と在家四宇・一二町五反半を小柴盛光妻紀氏女に売却しており(嘉暦三年八月二六日「小柴盛光妻紀氏寄進状案」同文書)、朝兼・義貞の新田本宗家二代で売却した総領は、八木沼郷内だけで在家一六宇・畠四六町余にも及ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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