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八木源左衛門 やぎ げんざえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

八木源左衛門 やぎ-げんざえもん

1818-1871 幕末の武士。
文政元年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩士。文久2年西川升吉ら尊攘(そんじょう)派の同志と家老森主税(ちから),用人村上真輔を殺害し,京都の土佐高知藩本陣にのがれる。帰藩後の元治(げんじ)元年脱藩して萩(はぎ)藩で戊辰(ぼしん)戦争に従軍。明治4年高野山の藩廟(びょう)守護を命じられ,赴任途中の2月29日真輔の遺児らに殺された。54歳。名は広察。変名は神島源三郎

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朝日日本歴史人物事典の解説

八木源左衛門

没年:明治4.2.29(1871.4.18)
生年:文政1(1818)
幕末維新期の尊攘派志士。名は広察,源左衛門は通称,変名は神島源三郎。赤穂藩足軽か。ペリー来航後に京摂間を奔走し,赤穂藩足軽西川升吉らと勤王派を結成,藩の改革派と対立した。文久2(1862)年12月9日夜,西川ら同志と共に家老森主税,側用人村上真輔を殺害,京都の土佐藩本陣を頼りその庇護を受けた。元治1(1864)年,再び脱藩し長州の鴻城軍に入隊。その後帰藩を前に岡山藩預りの身となり,のち許されて明治4(1871)年,高野山の藩廟守衛を命ぜられた。赴任途中,村上四郎ら真輔の遺族の仇討ちにあい,同志5人共々斬殺された。<参考文献>筏安太郎『明治秘史高野の復讐』

(高木俊輔)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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