朝日日本歴史人物事典 「八木源左衛門」の解説
八木源左衛門
生年:文政1(1818)
幕末維新期の尊攘派志士。名は広察,源左衛門は通称,変名は神島源三郎。赤穂藩足軽か。ペリー来航後に京摂間を奔走し,赤穂藩足軽西川升吉らと勤王派を結成,藩の改革派と対立した。文久2(1862)年12月9日夜,西川ら同志と共に家老森主税,側用人村上真輔を殺害,京都の土佐藩本陣を頼りその庇護を受けた。元治1(1864)年,再び脱藩し長州の鴻城軍に入隊。その後帰藩を前に岡山藩預りの身となり,のち許されて明治4(1871)年,高野山の藩廟守衛を命ぜられた。赴任途中,村上四郎ら真輔の遺族の仇討ちにあい,同志5人共々斬殺された。<参考文献>筏安太郎『明治秘史高野の復讐』
(高木俊輔)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報