1871-73年(明治4-6),特命全権大使岩倉具視を中心とした米欧回覧の使節団。その目的は,(1)幕末に条約を結んだ国への新政府による国書の奉呈,(2)上記条約改正への予備交渉,(3)米欧各国の近代的制度・文物の調査・研究であったが,(2)の問題では成功せず,もっぱら(1)と(3)を主として遂行した。使節団の首脳は,右大臣岩倉(公卿,47歳--出発当時の数え年,以下同)のほか副使に参議木戸孝允(山口,39歳),大蔵卿大久保利通(鹿児島,42歳),工部大輔伊藤博文(山口,31歳),外務少輔山口尚芳(なおよし)(佐賀,33歳)がなり,各省派遣の専門官である理事官や書記官など総勢50名に近い大使節団であった。これまで一般的には《日本外交文書》第4巻所収の〈各国使節一行名前書〉により48名とされているが(51名説もある),出発間際まで発令の変更・取消しなどあり,メンバーの入れかわりもかなりある。このほかに約60名の留学生が同行し,これには津田梅(9歳)ら5名の女子留学生や,旧藩主クラス,さらには高知県士族中江篤介(兆民,25歳)らも含まれていた。この使節団の構成の特徴は,首脳は明治維新をリードした薩長が中心であり,理事官には薩長の息がかかったものが選ばれているが,書記官には旧幕臣が多く入っている。この旧幕臣は,幕末以来の国際的経験や知識をもつものや語学に堪能な人々であった。これら旧幕臣はいわば江戸時代に蓄積された文化的エネルギーを背景にもっていた,といってよい。その意味では,使節団の構成は,明治維新の非連続と連続を表象しているといえる。この構成は,使節団帰国後の内務省(1873年11月設置)中心の大久保政権が,トップは薩長藩閥で占め,そのすそ野は約3割の旧幕臣出身の実務・技術(軍事を含む)の下級官僚で構成されているのに通じ,きわめて興味深い。また,上記の年齢からもわかるように,メンバーは若く,平均年齢はほぼ30歳であった。それはこの使節団の弾力性を示している。
岩倉使節団の派遣をめぐっては,伊藤博文提案説と大隈重信提案説とがあるが,後者は,かつてフルベッキの提示した〈ブリーフ・スケッチ〉(Brief Sketch,1869年6月11日付)をもとに廃藩置県後,大隈がみずからの使節団構想を提案し,それが結果的に岩倉使節団にきりかえられた,というものである。そこには新政権をめぐる薩長と非薩長との主導権争いがからみ,使節団出発直前の1871年11月9日に政府と使節団首脳との間で調印された12ヵ条の〈約定〉が,留守中〈新規ノ改正〉を避け,官制や人事の現状維持のもとで廃藩置県後の実効をあげることを規定していることともかかわりがある,とみられている。
使節団は,1871年11月12日(陽暦12月23日)に横浜港を出発し,73年(明治6)9月13日(明治6年より陽暦に改暦)に帰港した。この間,約1年10ヵ月,アメリカ,イギリス,フランス,ベルギー,オランダ,ドイツ,ロシア,デンマーク,スウェーデン,イタリア,オーストリア,スイスの12ヵ国を回覧した(大久保,木戸は途中で帰国)。この公式報告書が,太政官少書記官久米邦武編修の《特命全権大使米欧回覧実記》(5編100巻,1878刊。岩波文庫所収)である。これには上記各国の回覧記事のほか,ウィーン万国博覧会の記事や回覧を中止したスペインとポルトガルの概説およびヨーロッパ総論と帰路航程の記事が載せられている。
太平洋を横断してサンフランシスコからアメリカ入りした岩倉使節団は,ワシントンで条約改正問題の交渉を行ったが,最恵国条款のもとでの各国別交渉の不利がわかり,以後各国との条約改正交渉はあくまで予備交渉にとどめ,もっぱら近代国家の制度・文物などを精細に調査・見聞した。その対象は,王宮・議会・官庁・軍事施設・工場・病院・博物館・美術館・学校などから牢獄・花街にいたるまで,あらゆる面にわたる。そして,その考察は,具体的なものからその背景にある原理的なものに及び,ヨーロッパとアジアの社会構造や発想の相違を対比的に推究したりしている。そして,建国後100年のアメリカにおいては,そこに自主・独立の民の存在をみ,〈島国〉イギリスでは,貿易と工業立国の姿を眼前にし,フランスでは〈賊徒〉パリ・コミューンのなかに文明国の階級的矛盾を感じとり,統一帝国成立直後のドイツでは,ビスマルクやモルトケとの会見で,彼らの力の論理とその政策に共感した。ロシアでは農奴解放令と日本の土地改革とを対比し,また,日本のロシアへの先入観の誤りを自覚し,イタリアではこの国がヨーロッパ文明の根源であることを実感した。さらに,スイス,ベルギー,デンマークなどの小国では,これらの小国が弱肉強食のヨーロッパ国際政治でいかにして中立・独立を保持しているかを知った。帰路ではアジア・アフリカの植民地・半植民地化の実態をかいま見た。この使節団の回覧の背景には,近代ヨーロッパ文明への信仰と,対するアジアの未開という判断があったが,アジアのなかの日本は,ヨーロッパ化=近代化の能力をもつという自負がこめられており,こうした発想がその後の日本の〈脱亜入欧〉=近代化の思考様式となり,かつアジアへの優越感となっていった。だが,日本近代化の第一歩において,明治政府の首脳が,米欧の地を実地に踏み,詳細な研究・調査をしたことは,その後の近代天皇制国家の構築に大きな影響を及ぼしているとみられている。
執筆者:田中 彰
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1871年(明治4)11月から1873年9月にかけて、約1年10か月、米欧12か国を歴訪した、出発時46名よりなる使節団。特命全権大使は右大臣岩倉具視(いわくらともみ)で、副使は参議木戸孝允(きどたかよし)、大蔵卿(おおくらきょう)大久保利通(おおくぼとしみち)、工部大輔(こうぶたいふ)伊藤博文(いとうひろぶみ)、外務少輔山口尚芳(やまぐちなおよし)。使節団の目的は、(1)幕末条約締盟国への国書の捧呈(ほうてい)、(2)条約改正予備交渉、(3)米欧各国の制度・文物の調査研究であったが、(2)には失敗、もっぱら(3)に専心した。使節団の特徴には、〔1〕大使・副使に明治政府の薩長(さっちょう)の実力者が加わり、理事官(各省の専門官)にはその息のかかった者が多い、〔2〕書記官に旧幕臣が参加し、旧幕時代の国際的な文化蓄積を活用している、〔3〕平均年齢は約30歳で若さと弾力性に富んでいる、〔4〕米欧各国で政治、経済、産業、軍事、社会、文化、思想、宗教などあらゆる分野の制度・文物を詳細に見聞している、等々をあげうる。その公式報告書が『特命全権大使米欧回覧実記』(全100巻、5編5冊、1878年刊)である。
使節団の帰国(ただし、大久保と木戸はそれ以前に帰国)後、この外遊派は「征韓」論に反対、明治六年の政変(10月)後は、大久保主導のもとに内務省を中心に大久保政権が成立し、米欧回覧の成果をその政策に生かそうとした。従来は条約改正の失敗ということからこの使節団の評価と位置づけは低かったが、『米欧回覧実記』をはじめとする研究の進展で、この使節団の近代日本に及ぼす影響が再検討され始めている。なお、この使節団には、金子堅太郎(かねこけんたろう)、団琢磨(だんたくま)、津田梅子ら42名の留学生が随行し、各国に留学した。
[田中 彰]
『久米邦武編、田中彰校注・解説『特命全権大使米欧回覧実記』全5冊(1977~82・岩波文庫)』
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…71年の廃藩置県で華族は政治的特権を失った。また,海外へ洋行する者も多く,同年の岩倉使節団に同行した留学生には多数の華族が含まれていた。この使節団はヨーロッパの貴族制にも関心を払い,これは帰国後の岩倉具視や木戸孝允らの対華族策となった。…
…明治維新後,政府は主権国家の名実を得るために不平等条項の改正交渉を行ったが,既得権の放棄を欲しない列国は,交渉に応ぜず,法権回復は日清戦争後の1899年,関税自主権回復は日露戦争後の1911年であった。
[岩倉使節団の交渉]
条約改正の予告期に当たる1871年(明治4),〈万国対峙〉を目的のひとつとして廃藩置県が行われた。その後,政府は条約改正の予備交渉とその前提となる近代的法治国家への改編準備のため岩倉使節団を米欧回覧に派遣した。…
…そのためには,欧米列強の実態を認識し,これをモデルとするさまざまな改革に着手する必要があった。廃藩置県後に岩倉具視を正使として,新政府の中心人物である大久保利通,木戸孝允らが副使として出発した岩倉使節団は,不平等条約の改正交渉と欧米列強の実情を見聞することを使命とした。これ以後,政府は,徴兵令,地租改正,殖産興業,学制をはじめ,政治,軍事,経済などあらゆる部門での改革を推進した。…
…明治維新を経て71年(明治4)末,岩倉具視を全権大使とする大規模な使節団が欧米に派遣され,73年5月にイタリアを訪問している。岩倉使節団は《米欧回覧実記》を残しており,そこでリソルジメントに触れているが,おそらくこれが日本での最初のリソルジメント論であろう。同書でリソルジメントの中心人物とされているのはガリバルディで,カブールやマッツィーニの名は出てこない。…
※「岩倉使節団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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