日本歴史地名大系 「八甫村」の解説
八甫村
はつぽうむら
田園簿に八浦村とみえ、田高一九七石余・畑高七〇三石余(ただし田畑の合計高は村高と一致しない)、ほか野銭永一二三文とあり幕府領。元禄八年(一六九五)の反別寄(文久元年「八甫村諸記録写」霊樹寺文書)によれば、石盛は上田一一・中田九・下田七・下々田五、上畑・屋敷一〇で、ほかは同じく二ツ下り、総反別一一二町余・高八五六石余で、ほかに野銭場一四ヵ所の反当り永一〇〇文、雑木林銭場五九ヵ所の反当り永二五文、草銭場一ヵ所の永一五文となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報