コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

八田皇女 やたのおうじょ

2件 の用語解説(八田皇女の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

八田皇女 やたのおうじょ

記・紀にみえる仁徳(にんとく)天皇の皇后。
応神天皇と宮主宅媛(みやぬしやかひめ)の皇女。「日本書紀」によれば,皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)の留守中に仁徳天皇の妃となる。磐之媛命死後の仁徳天皇38年皇后となった。矢田皇女ともかく。「古事記」には八田若郎女(わきいらつめ)とあり,子がなかったため,御名代(みなしろ)として八田部(べ)がおかれたという。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

八田皇女

生年:生没年不詳
5世紀前半,仁徳天皇の妃。応神天皇と宮主宅媛(宮主矢河枝比売)との皇女。八田若郎女,矢田皇女ともいう。応神天皇の死後,菟道稚郎子と大雀命(仁徳天皇)が異母兄弟同士で位を譲り合っていたが,稚郎子は自殺して同母妹八田皇女を大雀命の妃とするよう遺言を残した。しかし仁徳天皇は,皇后磐之媛の嫉妬にあい実現できないでいた。仁徳30年,皇后の不在のときに八田皇女を招いて妃としたが,皇后の激しい怒りをかう。『古事記』では,別居を強いられた八田皇女のため,御名代(皇族の私有民)として八田部を設置したという。『日本書紀』は,皇后の死後に,妃の八田皇女を新しく皇后に立てたとしている。子はいなかった。

(明石一紀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone