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応神天皇につぐ16代の天皇とされる。応神の子,履中,反正,允恭天皇の父。諱(いみな)はオホサザキ(大雀,大鷦鷯),宮は難波高津宮,陵は和泉百舌鳥耳原(もずのみみはら)中陵。天皇は幼にして聡明,壮におよび仁慈,ために〈仁徳〉と諡(おくりな)されたが,悪逆無道とされた25代武烈天皇でこの応神・仁徳の王系が途絶えるのと対比される。これは中国の易姓革命の思想によって,この王系の始祖を応神・仁徳とするための措置であろうと考えられ,応神・仁徳は同一人格とみる学説もある。治世中の事跡にも,菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と皇位を譲り合い,倭(やまと)の天皇の屯田(みた)を横領しようとした額田大中彦(ぬかたおおなかつひこ)皇子を罪せず,百姓の窮乏を知り,みずから倹約して苦を共にし,課役を免じて百姓を富ましめ,宮室を造らず,百姓らは進んでこれを造営したというような話が多い。
執筆者:平野 邦雄
伝承像記紀の仁徳天皇の物語,特に《古事記》のそれは妻問い物語を軸に構成されている。天皇は多くの娘に求愛する主人公として登場し,そこへ皇后磐之媛(いわのひめ)の嫉妬がからんで独特な話柄をなす。たとえば皇后の嫉妬はつねに激しい言動で示され,それを恐れ国へ逃げ帰る寵姫を天皇が吉備の国まで追ってゆくというのが黒日売(くろひめ)の話である。こうした仁徳物語は,おそらくその祖型を神話の大国主神譚に負うものといえる。神話では越(こし)の国まで出かけて美女と逢う大国主(八千矛(やちほこ)神)に配して嫡妻須勢理毘売(すせりびめ)の〈うわなりねたみ〉(嫉妬)があり,それに閉口する主人公の姿は両者に共通し,しかも他に例をみない。また仁徳の仁君説話も大国主の兎を助けた話にみられる王者の慈愛と対応する。仁徳が実在性のたしかな天皇とはいえ,その物語は神話的原型を世俗化した一種の再話と性格づけられる。
執筆者:阪下 圭八
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(遠山美都男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
生没年不詳。記紀では第16代天皇とする。大雀命(大鷦鷯尊)(おおさざきのみこと)といい、応神(おうじん)天皇の皇子。莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は王位継承を辞退し、仁徳天皇が応神の後を継いで王位についたという。宮居は難波(なにわ)の高津宮にあったとし、とくに河内(かわち)平野の開発に努めたとする伝承が目だつ。仁徳天皇という諡(おくりな)は8世紀後半につけられたもので、その治政において、3年の間、税を免除したという事績に基づく。『古事記』『日本書紀』では、この天皇を「聖皇」(『記』)、「聖帝」(『紀』)とみなす意識が強く、儒教的徳治主義の思想で潤色されている箇所が少なくない。『宋書(そうじょ)』夷蛮伝(いばんでん)倭国(わこく)の条にみえる、倭の五王のなかの讃(さん)を仁徳天皇とする説や、珍(ちん)を仁徳天皇とする説などもある。墓は百舌鳥野(もずの)陵と伝える。現在仁徳陵に指定されている古墳(大山(だいせん)古墳)は大阪府堺(さかい)市大仙(だいせん)町にある。
[上田正昭]
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記紀系譜上の第16代天皇。5世紀前半頃の在位という。大鷦鷯(おおさざき)天皇と称する。応神天皇の皇子。母は皇后仲姫(なかつひめ)命。応神は,仁徳の異母弟菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子を皇太子としたが,応神の死後,太子は仁徳に皇位を譲ろうとした。仁徳が固辞したため天皇空位となったところ,異母兄の大山守(おおやまもり)皇子が皇位を狙い兵をあげた。これを鎮圧した後も仁徳が固辞したため,太子はみずから命を断って即位を促したという。難波に高津宮(現,大阪市中央区法円坂)を営み,葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)の女磐之媛(いわのひめ)命を皇后として,履中・反正(はんぜい)・允恭(いんぎょう)の3天皇をもうけた。人民の苦しみをみて3年の間課役徴収を停止するなど,仁政の王として賞賛されるが,応神の事績と重なることが多く,実在を疑う意見もある。葬られた百舌鳥耳原中(もずのみみはらのなか)陵は大阪府堺市堺区大仙町の大山(だいせん)古墳にあてられているが,時期的にあわないとする見解がある。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)または珍(ちん)に比定する説もある。
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…《古事記》《日本書紀》《万葉集》に伝えられる仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦(かつらぎのそつびこ)の娘で武内宿禰(たけうちのすくね)の孫にあたり,皇族外の身分から皇后となった初例とされる。…
…【前嶋 信次】 日本には朝鮮半島を経由してもたらされた。記録では仁徳天皇43年に百済王族の酒君(さけのきみ)が献上したタカを天皇が百舌野(もずの)で遣ってキジを捕り,鷹甘部(たかかいべ)をおいたとあるのが最も古い(《日本書紀》)。また出土品には,関東地方に鷹・鷹匠(たかじよう)埴輪が数例あり,6~7世紀ごろのものとされている。…
…記紀にみえる仁徳天皇の庶弟妹。天皇は隼総別皇子を仲人として,雌鳥皇女に求婚したが,皇女はハヤブサワケと通じ,仁徳をたおすことをそそのかしたために二人は軍勢に追われて宇陀の曾尓(そに)(紀では伊勢の蔣代野(こもしろのの))で殺害された。…
※「仁徳天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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