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仁徳天皇 にんとくてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

仁徳天皇
にんとくてんのう

第 16代に数えられる天皇。在位 87年といわれる。名はオオササキノミコト。応神天皇の第4皇子。母はナカツヒメノミコト。5世紀前半の倭国の大王ということで,『宋書』倭国伝の倭の五王中の讃に比定される。

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デジタル大辞泉の解説

にんとく‐てんのう〔‐テンワウ〕【仁徳天皇】

記紀で、第16代の天皇。応神天皇の第4皇子。名は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)。租税を免除し、茨田(まんだ)の堤を築造するなどの仁政を行ったという。「宋書」などにみえる倭の五王の讚または珍に比定する説もある。→大山(だいせん)古墳

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百科事典マイペディアの解説

仁徳天皇【にんとくてんのう】

日本書紀》にみえる天皇。諱(いみな)は大鷦鷯(おおさざき)。応神天皇の皇子。記紀によれば難波(なにわ)宮を営み,狭山(さやま)池・茨田(まんだ)堤などを築かせて開拓を勧め,朝鮮・中国と交渉して文化を向上,大和朝廷の最盛期を築いたという。
→関連項目允恭天皇菟道稚郎子大阪[市]栗隈毛野難波奈良坂埴生坂反正天皇氷室茨田屯倉依網池・依網屯倉

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

仁徳天皇 にんとくてんのう

記・紀系譜による第16代天皇。在位は5世紀前半ごろ。
父は応神天皇。母は仲姫命(なかつひめのみこと)。「日本書紀」によれば,応神天皇の死後,皇太子である弟が兄をさしおいて位につくのをよしとせず自殺したため即位。人家から炊煙のあがらないのをみて一時課税をやめ,人民の困窮をすくったという。都は難波の高津宮(大阪市東区)で,難波天皇とも称される。「宋書」倭国伝の倭王讃(さん)を仁徳とする説もある。仁徳天皇87年1月16日死去。(「古事記」では83歳)。墓所は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)(大阪府堺市。日本最大の前方後円墳)。別名は大鷦鷯天皇(おおさざきのすめらみこと)。
【格言など】天の君を立つるは是百姓の為なり(「日本書紀」仁徳天皇7年)

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朝日日本歴史人物事典の解説

仁徳天皇

生年:生没年不詳
5世紀前半に在位したといわれる天皇(大王)。父は応神天皇,母は仲姫。実名はオオサザキ。『古事記』では大雀,『日本書紀』では大鷦鷯の字を当てている。履中,反正,允恭3天皇の父とされる。皇后は葛城襲津彦の娘磐之媛命で,彼女の死後,仁徳の異母妹八田皇女が皇后に立てられたという。皇居は難波高津宮(大阪市東区か)。仁徳は,異母弟【G7EDF道稚郎子/うじのわきいらつこ】と大王位を譲り合い,長幼の序重んじるG7EDF道稚郎子が自殺したので,ようやく即位を決意したとか,人民の家々から炊飯の煙が立ちのぼらないのを見て課役を免じ,みずからに倹約と耐乏を課したとか,その聖帝,仁君としての風貌が強調されている。他方で,皇后磐之媛の目をぬすんで異母妹八田皇女のもとに通い,皇后の妬心をいたく刺激し,ついには彼女を憤死せしめたというおよそ聖帝らしからぬ伝承もある。聖帝,仁君として描かれているのは,仁徳の玄孫に当たる武烈天皇の代で仁徳の王統が途絶えたので,王朝最後の王=暴君とし,それとの対応関係により,王朝の開祖=聖帝と構想されたためにすぎない。中国の歴史書『宋書』(488年完成)にみえる倭王の讃あるいは珍に当たるとされているが,仁徳に該当する倭王の存在が認められるにしても,『古事記』『日本書紀』にみられる仁徳の位置や所伝は,あくまでも系譜の上で作り出されたものとみられる。すなわち,6世紀初頭に新たに王権を継承した継体天皇がみずからの正当性を主張するために,5世紀に実在したA,Bふたつの大王家の系譜と自己の保有する系譜とを統合する過程で,B大王家から出た最後の実在の大王である武烈すなわちワカサザキ(ワカタケル大王の子)の名前からヒントを得て,A,B両大王家共通の祖先名として,オオサザキなる王が案出されたのである。『延喜式』によれば,陵は和泉国大鳥郡(堺市,高石市)にあった百舌鳥耳原中陵。堺市にある全長485mの前方後円墳(大山古墳ともいう)は仁徳天皇陵として有名だが,年代的には合致しない。<参考文献>直木孝次郎『飛鳥奈良時代の研究』,前之園亮一『古代王朝交替説批判』,川口勝康「五世紀の大王と王統譜を探る」(原島礼二ほか『巨大古墳と倭の五王』),「大王の出現」(吉田孝編『日本の社会史』3巻)

(遠山美都男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

にんとくてんのう【仁徳天皇】

応神天皇につぐ16代の天皇とされる。応神の子,履中,反正,允恭天皇の父。諱(いみな)はオホサザキ(大雀,大鷦鷯),宮は難波高津宮,陵は和泉百舌鳥耳原(もずのみみはら)中陵。天皇は幼にして聡明,壮におよび仁慈,ために〈仁徳〉と諡(おくりな)されたが,悪逆無道とされた25代武烈天皇でこの応神・仁徳の王系が途絶えるのと対比される。これは中国の易姓革命の思想によって,この王系の始祖を応神・仁徳とするための措置であろうと考えられ,応神・仁徳は同一人格とみる学説もある。

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大辞林 第三版の解説

にんとくてんのう【仁徳天皇】

記紀の所伝で第一六代天皇、大鷦鷯尊おおさざきのみことの漢風諡号しごう。応神天皇第四皇子。都は難波。記紀の構想では、神武天皇から応神天皇の古代を承けて、記紀成立現在に直接つながる時代の始発の天皇として位置づける。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

仁徳天皇
にんとくてんのう

生没年不詳。記紀では第16代天皇とする。大雀命(おおささぎのみこと)、大鷦鷯尊といい、応神(おうじん)天皇の皇子。莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は王位継承を辞退し、仁徳天皇が応神の後を継いで王位についたという。宮居は難波(なにわ)の高津宮にあったとし、とくに河内(かわち)平野の開発に努めたとする伝承が目だつ。仁徳天皇という諡(おくりな)は8世紀後半につけられたもので、その治政において、3年の間、税を免除したという事績に基づく。『古事記』『日本書紀』では、この天皇を「聖皇」(『記』)、「聖帝」(『紀』)とみなす意識が強く、儒教的徳治主義の思想で潤色されている箇所が少なくない。『宋書(そうじょ)』夷蛮伝(いばんでん)倭国(わこく)の条にみえる、倭の五王のなかの讃(さん)を仁徳天皇とする説や、珍(ちん)を仁徳天皇とする説などもある。墓は百舌鳥野(もずの)陵と伝える。現在仁徳陵に指定されている古墳(大山(だいせん)古墳)は大阪府堺(さかい)市大仙(だいせん)町にある。[上田正昭]

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世界大百科事典内の仁徳天皇の言及

【磐之媛】より

…《古事記》《日本書紀》《万葉集》に伝えられる仁徳天皇の皇后。葛城襲津彦(かつらぎのそつびこ)の娘で武内宿禰(たけうちのすくね)の孫にあたり,皇族外の身分から皇后となった初例とされる。…

【鷹狩】より

…【前嶋 信次】 日本には朝鮮半島を経由してもたらされた。記録では仁徳天皇43年に百済王族の酒君(さけのきみ)が献上したタカを天皇が百舌野(もずの)で遣ってキジを捕り,鷹甘部(たかかいべ)をおいたとあるのが最も古い(《日本書紀》)。また出土品には,関東地方に鷹・鷹匠(たかじよう)埴輪が数例あり,6~7世紀ごろのものとされている。…

【隼総別皇子・雌鳥皇女】より

…記紀にみえる仁徳天皇の庶弟妹。天皇は隼総別皇子を仲人として,雌鳥皇女に求婚したが,皇女はハヤブサワケと通じ,仁徳をたおすことをそそのかしたために二人は軍勢に追われて宇陀の曾尓(そに)(紀では伊勢の蔣代野(こもしろのの))で殺害された。…

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