八町分村(読み)はつちようぶんむら

日本歴史地名大系 「八町分村」の解説

八町分村
はつちようぶんむら

江(え)ノ浦(うら)川流域にあったが、確かな村域はつまびらかではない。八丁分村とも記され、たんに八町分ともいう。諫早郷江ノ浦村のうちで、近世初頭の朝鮮出兵中に、深堀純賢が秣料として公儀に献上した筑前国内の所領の代替として、主君の鍋島直茂から与えられた江浦村に相当するという(「深堀茂宅由緒」佐賀県立図書館蔵)。江戸時代を通じて肥前佐賀藩家老の深堀鍋島家領。正保国絵図に「八丁分村」とあり、高三九〇石余。元禄国絵図では高三九〇石余。享和三年(一八〇三)の郡村仮名付帳ではハツテウブンとする。大小配分石高帳では深堀鍋島家領として地米高五八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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