八町河原渡(読み)はつちようがわらのわたし

日本歴史地名大系 「八町河原渡」の解説

八町河原渡
はつちようがわらのわたし

八町河原村からからす川を渡河し、対岸の上野国しん河岸・沼之上ぬまのうえ(現群馬県玉村町)を結ぶ三国みくに街道の渡船場。同街道は中山道の傍示堂ほうじどう(現本庄市)から分岐し、利根川沿いを北上して八町河原村から新河岸に渡り、上野国玉村たまむら宿(現玉村町)に至る。この街道は佐渡奉行さどぶぎよう街道ともよばれ、佐渡奉行の赴任道中ほか越後長岡、上野前橋・沼田の各藩などの往来があった。元禄年中改定図(風土記稿)に「八町河原村ヨリ上野国沼上村迄五町余」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む