八町牟田村(読み)はつちようむたむら

日本歴史地名大系 「八町牟田村」の解説

八町牟田村
はつちようむたむら

[現在地名]大木町八町牟田

上八院かみはちいん村の南に位置し、東は侍島さむらいじま村、南は絵下古賀えげこが村。久留米柳川往還が通る。八丁牟田とも記す。文明(一四六九―八七)頃、有馬下野守は八町牟田に混じて大友親繁の家臣斎藤繁実に預けられていた木室きむろ内の北牟田きたむた新開(現大川市)押領している(七月二日「大友氏年老連署書状」大友家文書録/大分県史料三一など)。慶長二年(一五九七)二月一二日の柳川領村高附帳(立花家文書)に村名がみえ、反別六九町三反余・分米八九四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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