八百媳婦国(読み)はっぴゃくそくふこく

改訂新版 世界大百科事典 「八百媳婦国」の意味・わかりやすい解説

八百媳婦国 (はっぴゃくそくふこく)

中国の元・明両代,雲南辺外にあった土侯国。タイ北部のチエンマイを中心に初代マンライ王が1296年に創建したラーンナータイLannathai王国の,中国での呼び名である。国名は,その首長に800人の妻があり,そのひとりひとりが一つのとりで(寨)を領していたので,八百媳婦国と呼ばれたという。中国史料には主たる住民は百夷と記されているが,タイ・ユアン族,タイ・ヤイ族などと深縁関係にあるといわれる。元はこの地方を治めるため八百等処宣慰使司を設置し,同じタイ系諸族の大・小車里国と紛争を続けていた八百媳婦国に大徳年間(1297-1307)遠征隊を送った(大徳の役)。その後,八百媳婦国は元に入貢し,明は1404年(永楽2)八百大甸宣慰使司(刁氏)の地を割き八百者乃宣慰使司を併設した。この国の建国期はタイ系諸族の勃興期で,以後周辺諸国と抗争を重ねながら緩衝地帯として命脈を保持した。1556年以後ビルマ(現ミャンマー)のタウングー朝に支配された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む