日本大百科全書(ニッポニカ) 「タウングー朝」の意味・わかりやすい解説
タウングー朝
たうんぐーちょう
Taungoo
ビルマの王朝(1486~1599)。下ビルマ、シッタン川の上流部に位置するタウングーは、14世紀後半から上ビルマでの戦禍を避けた流民を吸収しつつ勢力を蓄え、ミンチィーニョーMyingyinyo(在位1486~1531)のとき王朝を開いた。次王ダビンシュエティーThabinshweihti(在位1531~50)は、下ビルマのモン人やポルトガル人勢力を服属させ、都をペグー(現バゴー)に移した。その義弟バインナウン王Bayinnaung(在位1551~81)は、1555年アバ朝を滅ぼして上ビルマ、シャン丘陵一帯を手中に収め、アユタヤやラオスのビエンチャンをも攻略、制圧した。しかし王室の直轄地はデルタ地帯に限られ、他のビルマ諸地方にはバイン(王)の称号をもつ親王・王子を派遣し、シャン丘陵その他は従来どおり土侯の支配にゆだね、貢納のみを課した。したがって、周辺地方はつねに離反する傾向にあり、たび重なる遠征はデルタ地方の物的・人的資源を枯渇させ、ナンダバイン王Nandabayin(在位1581~99)のときに王朝は崩壊した。
[伊東利勝]