日本歴史地名大系 「八重原堰」の解説 八重原堰やえばらせぎ 長野県:北佐久郡北御牧村八重原村八重原堰黒沢加兵衛が開いた用水路で、八重原台地約二九〇町歩を灌漑する。開削者加兵衛の祖父重慶は相木(あいき)(現南佐久郡南相木村・北相木村)・御所平(ごしよだいら)(現南佐久郡川上(かわかみ)村御所平)などに領地を有した戦国土豪で、武田信玄に仕え、その滅亡後は依田(芦田・後に松平)氏に仕えた。加兵衛は松平氏が上野国藤岡城主当時、その地で生れる。その後徳川忠長、続いて松平因幡守憲良に仕え、憲良が駿河御番となるや、これに従って駿河に行き、総賄元締役をやって金子を蓄えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報