八重原堰(読み)やえばらせぎ

日本歴史地名大系 「八重原堰」の解説

八重原堰
やえばらせぎ

黒沢加兵衛が開いた用水路で、八重原台地約二九〇町歩を灌漑する。

開削者加兵衛の祖父重慶は相木あいき(現南佐久郡南相木村・北相木村)御所平ごしよだいら(現南佐久郡川上かわかみ村御所平)などに領地を有した戦国土豪で、武田信玄に仕え、その滅亡後は依田(芦田・後に松平)氏に仕えた。加兵衛は松平氏が上野国藤岡城主当時、その地で生れる。その後徳川忠長、続いて松平因幡守憲良に仕え、憲良が駿河御番となるや、これに従って駿河に行き、総賄元締役をやって金子を蓄えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む