北相木村(読み)きたあいきむら

日本歴史地名大系 「北相木村」の解説

北相木村
きたあいきむら

[現在地名]北相木村

村域は現北相木村と同じ。永禄八年(一五六五)一一月、武田信玄が諏訪社上社下社の祭礼再興を信濃国諸郷に下知した中で、上社の一の鳥居造宮を負担する「佐久郡之内為拾一郷之役」に「一貫文北阿江木之郷、一貫文南阿江木之郷」とある。

中世、相木(阿江木)の地は大井おおい庄に属したと思われ、相木氏(阿江木氏)は、岩村田いわむらだ(現佐久市)に居を構えた地頭の大井氏の有力な被官であった。相木氏については諏訪御符礼之古書(諏訪大社上社文書)の享徳三年(一四五四)の件に「長倉、阿(江木カ)越後守、五月会、御符礼一貫八百文」とある。また寛正三年(一四六二)花会に「宮頭、長倉、阿江木入道沙弥常栄、御符之礼三貫百文、御頭ハ十三年ニ当可申之由被申候得共相押候所方候 頭役拾五貫」と記される。

北相木村
きたあいきむら

面積:五六・一四平方キロ

南佐久郡の東南部、北相木川(一名御座おぐら川)に沿う標高一〇〇〇メートルを超える東西に長い村。東は群馬県多野たの上野うえの村、南は南相木村、西は小海こうみ町、北は小海町と佐久さく大日向おおひなたで、村境はほとんど山嶺。

三方の山は南が御座山(二一一二・一メートル)の北斜面、北が四方原よもがはら(一六三一・六メートル)とその西南に延びる山嶺の南斜面、東が群馬県との県境を走る山脈の西斜面。それらの山々の斜面から流れ下るいくつかの沢水は北相木川となってほぼ東から西に流下して、川又かわまたで南相木川と合して千曲川に注ぐ。北相木川の上流には箱瀬はこぜの滝・雪瀬ゆきぜの滝などがあり、下新井しもあらいで北から合流する支流深沢ふかざわ川の奥にも三滝があって、そのうち大禅だいぜんの滝(また大勢至だいせいしの滝)の冬季の氷柱は見事である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北相木村」の意味・わかりやすい解説

北相木〔村〕
きたあいき

長野県東部,千曲川上流に注ぐ相木川流域の村。平坦地はほとんどなくかつては林業が主体であったが,現在は農業がおもに行われる。相木川の段丘面山腹傾斜地で,高冷地野菜などを栽培する。栃原岩陰遺跡 (史跡) がある。面積 56.32km2人口 752(2020)。

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