八飯村(読み)やいむら

日本歴史地名大系 「八飯村」の解説

八飯村
やいむら

[現在地名]今庄町八飯

北流する日野川の左岸にある。北西荒井あらい村、南東宇津尾うつお村。文明六年(一四七四)一一月二九日付朝倉孝景執達状(慈眼寺文書)に「徒都部郷内三尾河内八飯村抜地等事」とみえる。さらに同年一一月一三日付の宗伝寄進状(同文書)に「越前国徒都部郷内三尾河内加志尾壇別相之堀田」とあるが、この中の「加志尾壇」とは当村の南西に延びる樫尾かしお谷に比定される。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では三尾川内みおのこうちに含まれ、正保郷帳に村名がみえる。同帳によると田方一六一石余・畠方七五石余。福井藩領。「越前地理指南」によれば、枝村に寺原てらはらがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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