日本歴史地名大系 「公津ヶ原」の解説 公津ヶ原こうづがはら 千葉県:成田市公津ヶ原成田市域南西部、印旛(いんば)沼東岸の台地上にあった広大な原野の通称。地区内には古墳が多く、公津八十(こうづやそ)墓と称され、「佐倉風土記」に「神津八十墓 神津村東北二三里の原上に在り。数多く、故にこれを名とす」とある。江戸時代は周囲を八代(やつしろ)・松崎(まんざき)・郷部(ごうぶ)・成田などの古村に囲まれ、佐倉牧のうち内野(うちの)牧の一部となった。成田山新勝寺の縁起によると、平将門の乱を鎮めるために天慶三年(九四〇)最初に本尊不動明王像を安置して祈祷した場所と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報