公津ヶ原(読み)こうづがはら

日本歴史地名大系 「公津ヶ原」の解説

公津ヶ原
こうづがはら

成田市域南西部、印旛いんば沼東岸の台地上にあった広大な原野通称。地区内には古墳が多く、公津八十こうづやそ墓と称され、「佐倉風土記」に「神津八十墓 神津村東北二三里の原上に在り。数多く、故にこれを名とす」とある。江戸時代は周囲を八代やつしろ松崎まんざき郷部ごうぶ・成田などの古村に囲まれ、佐倉牧のうち内野うちの牧の一部となった。成田山新勝寺の縁起によると、平将門の乱を鎮めるために天慶三年(九四〇)最初に本尊不動明王像を安置して祈祷した場所と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む