日本歴史地名大系 「公津原古墳群」の解説 公津原古墳群こうづはらこふんぐん 千葉県:成田市公津ヶ原公津原古墳群[現在地名]成田市八代・船形・玉造二丁目・同四丁目・赤坂一―二丁目・加良部六丁目など印旛(いんば)沼東岸の台地上に分布する古墳群で、八代台(やつしろだい)・天王船塚(てんのうふなづか)・瓢塚(ひさごづか)の三古墳群に区分される。県指定史跡。成田ニュータウン造成に先立って昭和四四―四六年(一九六九―七一)に多数の古墳が調査された。盟主的存在として前方後方墳の船塚古墳(墳丘長八五メートル)、前方後円墳の天王塚(てんのうづか)古墳(同六三メートル)・石塚(いしづか)古墳(同四〇メートル)・瓢塚古墳(同三五メートル)などがあるが、これらはいずれも現状保存の対象となって発掘の手が加えられていない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by