日本歴史地名大系 「六条内裏跡」の解説 六条内裏跡ろくじようだいりあと 京都市:下京区稚松学区塗師屋町六条内裏跡「拾芥抄」に「北六条坊門、南六条二町、(西)東洞院、東高倉二(一)町、万寿禅寺是也」とあり、同書東京図にも高倉(たかくら)・東洞院(ひがしのとういん)間一町、六条・六条坊門間二町の方二町を示す。この二町は現大津(おおつ)町・塗師屋(ぬしや)町の全域と、万寿寺(まんじゆうじ)町・堺(さかい)町・富屋(とみや)町・和泉(いずみ)町・福島(ふくしま)町・下万寿寺町の一部にあたる。白河天皇の里内裏の一つ。「百錬抄」承保三年一二月二一日条に「遷幸新造六条皇居」とあり、翌承暦元年一〇月に高陽(かや)院に遷するまでの間皇居として用いた(百錬抄)。譲位後の寛治元年(一〇八七)四月にはこの六条殿に移り(中右記)、同年八月九日には摂政藤原師実が諸国に六条殿の修理を命じている(為房卿記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by