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万寿寺 まんじゅじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区にある臨済宗の寺院。山号は京城山。永長2 (1097) 年に白河上皇郁芳門院の遺宮を寺としたのに始り,正嘉年間 (1257~59) に住僧円爾弁円に帰依し,禅寺として万寿寺と名づけた。元中3=至徳3 (1386) 年に京都五山の第5位に列せられた。

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デジタル大辞泉の解説

まんじゅ‐じ【万寿寺】

京都市東山区の東福寺内にある臨済宗の寺。山号は、京城山。永長2年(1097)白河上皇が皇女藤原媞子の遺宮を仏寺として六条御堂と称したのに始まる。正嘉年間(1257~1259)に禅寺となり、万寿寺と改称京都五山の第五位であったが、その後衰え、天正年間(1573~1592)東福寺山内に移った。

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百科事典マイペディアの解説

万寿寺【まんじゅじ】

京都市東山(ひがしやま)区にある臨済宗の寺。白河(しらかわ)天皇の〈里内裏(さとだいり)〉の六条内裏内に1097年建てられた六条御堂を,1261年覚空(かくくう)・湛照(たんしょう)(両開山)が禅宗に改め万寿寺と改称。

万寿寺【まんじゅじ】

大分市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊釈迦如来。1306年大友貞親(さだちか)が館の南東に開基,開山は博多承天(じょうてん)寺の直翁智侃(じきおうちかん)。以降大友氏の外護で壮大な寺域を誇ったが,1586年島津氏の兵火に焼かれ,大友氏の凋落のため復興は遅れ,寛永(かんえい)年間(1624年―1644年)に丹山(たんさん)(中興開山)が現在地に再興。

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大辞林 第三版の解説

まんじゅじ【万寿寺】

京都市東山区にある臨済宗の寺。山号は京城山。東福寺塔頭たつちゆうの一。京都五山の一。1097年白河上皇の命によって建立された六条御堂に始まる。1258年万寿禅寺と改称、湛照を開山とした。1575年東福寺山内の三聖寺に合して両寺号を併称、現寺号となったのは明治以降。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区本町の東福寺北総門内にある臨済(りんざい)宗東福寺派の寺。草創は白河(しらかわ)上皇が皇女郁芳(いくほう)院藤原(ていし)の追善のために、1097年(承徳1)その遺宮(下京(しもぎょう)区万寿寺通高倉付近)を仏寺として六条御堂(ろくじょうみどう)と称したことに始まる。その後、正嘉(しょうか)年間(1257~59)堂に住していた十地覚空(じゅうちかくくう)・東山湛照(とうざんたんしょう)の師弟2人が東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)に帰依(きえ)してのち、禅寺となり万寿寺と改称する。1340年(興国1・暦応3)五条樋口(ひぐち)に移って十刹(じっせつ)の一つに、1386年(元中3・至徳3)には京都五山の第五に列したが、1434年(永享6)の火災後衰え、天正(てんしょう)年間(1573~92)東福寺山内に移った。[平井俊榮]

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世界大百科事典内の万寿寺の言及

【京都五山】より

鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。…

※「万寿寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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