六町牟田村
ろくちようむたむら
[現在地名]神埼町大字横武字上六丁・下六丁
城原川の西方、東は横武村、西は上姉川村に接する。村の周囲には佐賀平野特有のクリークが点在する。中世、神埼庄に含まれていたと考えられる。正保絵図に村名がみえる。
明応六年(一四九七)四月、少弐高経は晴気城(現小城郡小城町)に逃亡したが、大内勢に千葉興常も加わって同城を攻撃してきた。少弐政資は多久の梶峰城(現多久市)に逃げ、高経主従四人は石体(現小城郡小城町)越えで市の川(現佐賀郡富士町)まで逃げたが、ついにその地で自害した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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