日本歴史地名大系 「神埼庄」の解説
神埼庄
かんざきのしよう
- 佐賀県:神埼郡
- 神埼庄
〔成立〕
「類聚国史」巻一五九に「仁明天皇承和三年十月癸亥、肥前国神崎郡空閑地六百九十町、為勅旨田」とあり、空閑地が承和三年(八三六)勅旨田となったことが、のち神埼庄が皇室領荘園となる契機となったものと思われる。この時勅旨田として開墾されたのは、北部の
藤原道長の日記「御堂関白記」の長和四年(一〇一五)七月一五日の条に「人々加物有其数、
とあり、後一条院が朱雀院に譲った領所の中に神埼御庄の名がみえ、後院領として相伝されている。
白河院政時代も、院領荘園の急速な拡大のなかにあって神埼庄がその経済的基盤として重要な役割を果していたらしく「百錬抄」の大治二年(一一二七)五月二六日の条に「神崎庄献鯨珠一顆於院、仍令勘和漢之例」とあり、神埼庄より鯨珠一顆を白河上皇に献上している。その後、鳥羽院政への移行に伴って神埼庄も鳥羽院領として相伝されている。なおこの頃より瀬戸内海・九州方面に勢力を伸張し、日宋貿易の独占を意図しはじめた平忠盛は、神埼庄における宋船の来着に着目し、自ら鳥羽上皇の院宣と号して下文を下し、神埼庄は院領であるから大宰府の府官は宋船の来着について関与すべからざる旨を下知したらしい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報