兵右衛門新田(読み)ひようえもんしんでん

日本歴史地名大系 「兵右衛門新田」の解説

兵右衛門新田
ひようえもんしんでん

[現在地名]西川町兵右衛門新田

もとのよろい潟と潟の間に広がる潟湖の多い低湿地帯中の微高地に形成された新田集落升潟ますがた村の東、県道黒埼―西川線の南側に位置する。元禄郷帳に村名はないが、元禄一一年(一六九八)の榊原式部大夫殿領分四万石拾ケ組絵図面(霜鳥家文書)には幕府領として区分され、宝暦三年(一七五三)の訴訟文書(坂田家文書)に長岡藩預所の村中に村名があるので、享保九年(一七二四)出雲崎いずもざき陣屋が長岡藩預所となることから、それ以前は出雲崎代官所の支配を受けていたとみられる。


兵右衛門新田
ひようえもんしんでん

[現在地名]水海道市ひよう

小貝こかい川北西岸に所在。東は箕輪みのわ村。寛永一一年(一六三四)の下総国下妻領兵右衛門新田御検地帳(杉山始文書)には幕府代官斎藤喜六郎ほか九名の検地役人が記され、案内人として百姓兵右衛門・与右衛門の名がある。享保一一年(一七二六)に再検地、幕末に流作場検地があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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