兵庫屋弥右衛門(読み)ひょうごや・やえもん

朝日日本歴史人物事典 「兵庫屋弥右衛門」の解説

兵庫屋弥右衛門

生年生没年不詳
江戸中期の東浦賀(横須賀市)干鰯(肥料)問屋北川姓。紀州漁民の房総出漁により生産された干鰯の大坂方面への取次を始め,東浦賀干鰯問屋開祖となったと伝承されるが,江戸前期の同地の干鰯問屋は17世紀半ばには成立しており,むしろそののち,中興の基盤を築いた人物と考えられる。史料には元禄5(1692)年以降名がみえ,東浦賀法幢寺を建立したとも伝えられる同地有力商人のひとりであったが,寛保3(1743)年に干鰯商売から撤退。<参考文献>横須賀史学研究会編『東浦賀干鰯問屋関係史料』

(原直史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兵庫屋弥右衛門」の解説

兵庫屋弥右衛門 ひょうごや-やえもん

?-? 江戸時代前期-中期の商人。
相模(さがみ)三浦郡東浦賀(神奈川県横須賀市)の干鰯(ほしか)(肥料)問屋。房総地方産出の干鰯を大坂方面にとりつぎ,東浦賀の干鰯問屋隆盛の基盤をきずいたが,寛保(かんぽう)3年(1743)撤退した。東浦賀の法幢(ほうどう)寺をたてたとつたえられる。姓は北川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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