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干鰯 ほしか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

干鰯
ほしか

いわしを干して魚肥としたもので,戦国時代より近代にいたるまで使用された購入肥料 (金肥) 。干鰯の産地は,江戸時代初期は九州,四国であったが,中期以降は房総,三陸でも生産され,特に九十九里の干鰯生産量は多大であった。

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百科事典マイペディアの解説

干鰯【ほしか】

鰯・鰊などを干して固めた肥料。近世,綿作などの商品作物栽培の拡大により,速効性の魚肥の需要が急増。特に大坂近郊農村で早くから普及。17世紀後半には大坂・浦賀(うらが)・江戸をはじめとした干鰯問屋を通じて全国に普及。
→関連項目イワシ(鰯)大浜魚肥

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世界大百科事典 第2版の解説

ほしか【干鰯】

イワシ,ニシン,かずのこなどを干して乾かし固めた肥料。もと漁村でイワシ類のような大量漁獲物を自給肥料としていたものを,近世になって商品作物栽培が拡大するにつれ,効力が強いうえに運送しやすいこともあって,江戸,大坂,堺などの干鰯問屋を通じて,米・綿作に用いられた。大坂周辺農村ではすでに17世紀後半には一般零細農民の間にまで普及し,ときに農民と問屋との間に代銀支払問題が起こってきた。大坂の干鰯仲間は,もともと雑喉場(ざこば)の干魚仲間から分立したものであるが,近世前期において畿内はもちろん,その外郭地域の11ヵ国に送っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

干鰯
ほしか

干鰮とも書く。古く日本で用いられていた魚肥で、日干しにしたり油を絞ったイワシのことで、イワシのほかにニシンも使う。現在はまったく用いられないが、購入肥料の首位の座を占めていた時代もあった。もともと日本は魚貝類の生産が豊富であったが、干鰯の肥料としての利用は局地的、自給的なものにとどまっていた。しかし、江戸時代後期になると養蚕、タバコ、ワタ(綿)などの商品作物の生産が拡大し、また海運の便がよくなったことにより干鰯の利用が一般化したが、とくに大坂周辺のワタ作をはじめとする商業的農業の発達が干鰯問屋を通し、その普及を早めた。田村仁左衛門吉茂が1841年(天保12)に著した『農業自得』によれば、「粕(かす)、干鰯、油粕、米ぬか等は皆上肥なれども使用にあたりては大小便、灰などと合せ用ひざれば能少し」と記されている。[小山雄生]
『川崎一郎著『日本における肥料及び肥料智識の源流』(1973・日本土壌協会)』

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世界大百科事典内の干鰯の言及

【イワシ(鰯∥鰮)】より


[イワシの利用]
 日本では,マイワシの骨が貝塚より見いだされるなど古くから利用されていたことがわかる。江戸時代から昭和初期にかけて,九十九里浜のイワシの地引網が盛んで,生食用,干物,または灯火用の油,その搾りかすで肥料としての〆粕(しめかす),ほしか(干鰯)などに利用していた。現在も地名にそのころにぎわった漁村集落のなごりが見られる。…

【魚肥】より

…生産,消費は昭和10年ころが最高であったが,第2次大戦後のイワシ,ニシンの漁獲高激減などにより生産量は減少した。魚肥はほしか(干鰯)とイワシやニシンの〆粕(しめかす)(油をとった残り粕)が主であったが,最近は魚類の加工残渣や調理残渣の処理物である荒粕類がほとんどである。後者は魚骨の割合が多いため,窒素含量が低く,リン酸含量が高くなる。…

【近世社会】より

…鍬や鎌の供給については,広く各地の初期の状態についての研究はないが,たとえば上田藩や米沢藩では領内の鍛冶屋の製品や,ときには他藩の製品も一度藩の手に集められて,百姓に供給されている。その支払方法は両藩ともに明らかでないが,加賀藩の塩の専売や,干鰯(ほしか)奨励政策では,代価の支払は出来秋に年貢とともに米で納められている。貨幣を要しない時代のあったことを想定してよい。…

【摂津国】より

…その数は明暦年間(1655‐58)25,元禄(1688‐1704)のころ95,天保年間(1830‐44)125を数えた。蔵物だけでなく各地から登される農民的商品を集散する市場として,堂島の米市場,天満の青物市場,雑喉場(ざこば)の魚市場,永代浜の塩魚・干鰯(ほしか)の取引などが生まれた。 大坂における商品流通の盛大は摂津の農業,加工業を刺激した。…

【ワタ(棉∥綿)】より


[畿内への集中]
 ところが幕藩体制の成立によって,幕府は中世末に分業関係の成立していた畿内を重要視し,西日本の中央市場を大坂に設定してから,消費物資生産の種々の産業が大坂周辺におこり,その一つとしての衣料原料である綿を周辺農村に求めることとなった。そして綿の肥料である干鰯(ほしか)などが当初は近海の紀伊,和泉などから供給された事情も伴い,17世紀末までの綿および加工品の産地は畿内の地位が圧倒的に高く,そのほかに周辺地の紀伊,丹波と近海運航に便利な瀬戸内諸国に集中し,中世末期の産地であった東日本や九州などの辺境の産地を壊滅させた。 畿内では,初めは畑のみに作られたが,需要の増大とともに田に,稲→麦(裏作)→綿という順序で,裏作の麦を刈り取る前に,麦のわきに綿をまき付け,田畑(でんぱた)輪換方式をとりいれ,乾田化を進めて綿が全耕地の50~80%をこえている村も出現している。…

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