内ノ畑王子跡(読み)うちのはたおうじあと

日本歴史地名大系 「内ノ畑王子跡」の解説

内ノ畑王子跡
うちのはたおうじあと

[現在地名]日高町萩原 垣内

萩原はぎわらの北部の字垣内かいとに跡地がある。熊野九十九王子の一。「中右記」の熊野詣記事にはみえないが、「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月一〇日条に「暫休息山中小食、於此所上下伐木枝随分造槌、付榊枝持参、内ノハタノ王子ツチ金剛童子云々各結付之云々」とみえる。つち王子とも称されており、応永三四年(一四二七)住心院僧正実意の記した「熊野詣日記」に「御ひる内の畑、槌の王子、此王子にてハ、槌をつくりて木の枝につけて、徳あり徳ありとはやしてまいらするなり」とあり、槌王子の由来が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android