日本歴史地名大系 「萩原村」の解説
萩原村
はぎわらむら
慶長六年(一六〇一)四月一六日の中川秀成知行方目録案(中川家文書)に村名がみえ、文禄五年(一五九六)の地震で海没した
萩原村
はぎはらむら
西峠は郡西部から長谷寺に通ずる古代交通路上にあり、一に
萩原村
はいばらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎはらむら
萩原村
はぎわらむら
- 熊本県:八代市
- 萩原村
八代城下東方、球磨川が八代平野に出て北流し、やがて大きく西に蛇行する右岸一帯の村。南端に加藤清正築造とされる萩原堤がある。貞和三年(一三四七)九月一二日の少弐頼尚預ケ状(相良家文書)によると、「萩原城料所」として相良定頼に預け置かれた地に八代庄
萩原村
はぎわらむら
- 兵庫県:川西市
- 萩原村
滝山村の西に位置する。地内に
萩原村
はぎわらむら
豊田平野の南東、
村内の小名について「地下上申」は、
萩原村
はぎわらむら
- 京都府:福知山市
- 萩原村
由良川の支流
「丹波志」に「萩原村 綾部領 高百七拾四石三斗六升 民家四十七戸 此所古萩多ク生セリ、依之地名トス」とある。
佐藤信淵の「巡察記」は田方一三・五九町余、畑方七・九町余、高一九七・三二五石、家数五一軒、人口二〇九人、牛四二疋と記し、続けて
村の東端部の段丘については、「丹波志」の古城の部に
とあり、その地は土師川がコの字形に蛇行して段丘をめぐり、その段丘上に大槻佐渡守が砦を構えていた。
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎばらむら
東流する日野川左岸の河岸堆積地に位置し、東は
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
- 群馬県:高崎市
- 萩原村
東南流する利根川右岸際に位置し、南は
萩原村
はぎわらむら
- 福岡県:筑紫野市
- 萩原村
萩原村
はぎわらむら
- 静岡県:御殿場市
- 萩原村
萩原村
はぎわらむら
寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎはらむら
- 奈良県:生駒市
- 萩原村
生駒丘陵東麓、
萩原村
はぎはらむら
萩原村
はぎわらむら
- 愛媛県:北条市
- 萩原村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎはらむら
萩原村
はいばらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
萩原村
はぎわらむら
丹生山地を流れる
萩原村
はぎわらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報