日本大百科全書(ニッポニカ) 「内原」の意味・わかりやすい解説
内原
うちはら
茨城県中央部、東茨城郡にあった旧町名(内原町(まち))。現在は水戸市(みとし)の南西部を占める地域。旧内原町は1965年(昭和40)町制施行。2005年(平成17)水戸市に編入。旧町域はJR常磐(じょうばん)線内原駅と駅前商店街が中心地。かつて満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍訓練所の所在地として知られ、鯉淵(こいぶち)地区の跡地には記念碑と宿舎を復原した日輪兵舎があり、内原郷土史義勇軍資料館で関係資料を展示している。国道50号が走る。北部に低い山地があるほかは広大な東茨城台地と、涸沼前川(ひぬままえかわ)の低地である。農業が主で、米作が多く、かつては桑園と養蚕が盛んであった。葉タバコとクリ、ナシ、ブドウの産があり、納豆、みその製造も行われている。農民の父といわれた加藤完治(かんじ)の日本国民高等学校(1935年友部(ともべ)町より移転)は現在、日本農業実践学園となり、また全国農業会高等農事講習所を前身とする鯉淵学園、農林水産省の農林水産研修所つくば館水戸ほ場などがあり、農業教育の中心地である。子供の虫切りの神として信仰される有賀神社(ありがじんじゃ)がある。鯉淵の中崎家住宅は国指定重要文化財。
[櫻井明俊]
『館三省編『内原の歴史』(1973・内原町教育委員会)』