内下町(読み)うちしたまち

日本歴史地名大系 「内下町」の解説

内下町
うちしたまち

[現在地名]長崎市築町つきまち江戸町えどまち賑町にぎわいまち

江戸町の東、中島なかしま川河口の右岸にある長崎うち町の一ヵ町で、船手に属した。内町の下町という意であろう。元和八年(一六二二)のコリャード徴収文書である長崎ロザリオ組中連判書付に「下町」のキリシタン京寿庵や九良右衛門パウロらが署名している。同九年下町の南京雲台が具足屋から銀一〇〇両を借り、これを渡海する二官に託して翌年元利ともに返済する予定であったが、二官の事故で寛永六年(一六二九)元銀相当の一〇〇両を返済している(「投銀書状」堺市史史料)。寛永長崎港図では内町として「内下町通り」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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