コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

下町 したまち downtown

翻訳|downtown

8件 の用語解説(下町の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

下町
したまち
downtown

都市の商工業地域のうち,おもに低地に発達した地域。職住近接形態が多く,人口密度も高い。東京の場合は,赤羽から品川を結ぶ京浜東北線を境として,その東方に広がる低地 (隅田川・神田川流域など) のことで,山ノ手の住宅街に対していう。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

した‐まち【下町】

都会で、土地の低い所にある町。多く商工業地になっている。東京では浅草・下谷・神田・日本橋・京橋・本所・深川などの地域をいう。「下町育ち」⇔山の手

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

下町【したまち】

陸上・水上交通の便などのため低い沖積地に発達した都市の商工業地区。高台の住宅地区としての山の手と区別される。台地と沖積地との接触部に発生した都市で普遍的にみられる地域分化で,日本では城下町のころから明瞭であったが,江戸の低地が下町と呼ばれるようになったのは17世紀ころといわれる。
→関連項目江戸っ子東京[都]都市

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル大辞泉プラスの解説

下町

1957年公開の日本映画。監督:千葉泰樹、原作:林芙美子、脚色:笠原良三ほか。出演:山田五十鈴、亀谷雅敬、三船敏郎、田中春男、村田知英子、淡路恵子ほか。第12回毎日映画コンクール男優主演賞(三船敏郎)、第8回ブルーリボン賞助演女優賞(淡路恵子)受賞。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

したまち【下町】

広義には都市の低いほうにある町をいうことばで,高台を指す山手の対語である。東京(江戸)では京橋,日本橋から神田,下谷,浅草方面に町家が多く,人口の密集した地域が低地にあったことから,狭義にはこの地域を指す。また,都市の商工業に従事する町家が多い地域一般を指すこともある。東京の低地が山手との対比で下町と呼ばれるようになったのは17世紀であるといわれ,吉田東伍《大日本地名辞書》で,〈江戸の山手,下町〉という呼称の起こりは,徳川家康の江戸開府のころにさかのぼれるのではないかと推測している。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

したまち【下町】

都市の市街地のうち、低地にある地区。主に商工業者などが多く住んでいる町。東京では東京湾側に近い下谷・浅草・神田・日本橋・深川などの地域をいう。 ↔ 山の手 「 -育ちで威勢がよい」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本の地名がわかる事典の解説

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

下町
したまち

都市の商工業地域でおもに低平な沖積地域を、山手(やまのて)の住宅街に対して下町という。東京都では区部のうち、東部の低平な沖積地の部分をいう。赤羽(あかばね)から品川を結ぶJR京浜東北線をほぼ境として、その東方に広がる地域。狭義には江戸時代に町屋を形成し、1878年(明治11)に区制を敷いた地域で、現在の千代田、中央、港、台東(たいとう)、江東(こうとう)、墨田(すみだ)の各区の低地部をさす。
 世界的にみても、下町と語源的に近いダウンタウンは水陸交通に恵まれ、商工業地域として発達し、中心商店街、都心を意味する語に用いられている。東京においても、下町は江戸時代から商工業の発達した町人の街で、山手の住宅地と対応している。
 以下、東京の下町について述べる。[沢田 清]

自然

山手が洪積世(更新世、約100万年前から1万年前までの地質時代)に堆積(たいせき)された洪積層からなる洪積台地であるのに対し、下町は沖積世(完新世、1万年前から以後)に堆積された沖積層からなる沖積低地である。東京層とよぶ洪積層が砂質で黄褐色であるのに対し、有楽町(ゆうらくちょう)層などとよぶ沖積層は泥質で青灰色を呈し、多くの貝化石や腐植物が含まれている。縄文前期に海が進入して下町は海面下となったが、中期から海が退き始めて陸化し、標高1~4メートルの低地となった。しかし、昭和以降の急速な工業化に伴い、地下水の過剰なくみ上げによって地盤が収縮して沈下し、ゼロメートル以下の所が広がった。地盤が軟弱なため、関東大震災では、山手での全壊率5%以下なのに対し、下町では沖積層が厚いほど全壊率が高く、隅田(すみだ)川、荒川の埋没谷では50%以上にも達した。1970年代に入ると、法律や条例により地下水のくみ上げに対する規制が行われ、以後、地盤沈下は鎮静に向かっている。[沢田 清]

歴史

1590年(天正18)徳川家康入府のとき、下町のうち隅田川以東は低湿地が多く、江戸城の東側は日比谷(ひびや)入り江とよぶ海であった。家康は城下町の建設を目ざし、1593年(文禄2)以後日比谷入り江の埋立てを始めた。それが現在の大手町、丸の内、日本橋、京橋、銀座で、整然とした道路網がみられる。丸の内は当時大名小路とよばれ25の藩邸があり、親藩、譜代(ふだい)大名が居住したのに対し、日本橋、京橋、銀座は町人の商業地として発展した。下町には多くの水路があり、河岸(かし)とよぶ船着場が各所につくられた。隅田川沿いには米蔵(こめぐら)、材木蔵など幕府の倉庫が、その下流に米、雑穀、肥料、油などを取り扱う問屋、倉庫の街ができ、日本橋には魚市場が立った。1657年(明暦3)の明暦(めいれき)の大火後、新しい町づくりとして隅田川以東が開発され、大名の別荘、町屋、木場(きば)などで発展するようになった。明治以後、丸の内は陸軍用地となったが、三菱(みつびし)に売り渡し、1914年(大正3)東京駅開設を機に業務ビル地区となり、銀座が繁華街となった。台東・中央区は問屋を中心とする商業および日用雑貨の中小工業地区として継続されるが、隅田川以東の江東地区は近代工業の移植が行われ、近代工業地区として発展した。第二次世界大戦後、近代工業は安くて広い土地を求めて移転し、跡地は高層ビルの住宅地などに変わった。[沢田 清]

特色

山手がサラリーマン中心の住宅地で移動が多いのに対し、下町は自営の商工業者が多くかつては移動することは少なく、江戸の伝統、気質をよく残していた。自分の町を愛し、粋(いき)を尊び、江戸っ子のべらんめえことばや「宵(よい)越しの金は持たない」気風、心に思っていることは隠さず、ポンポンいって、あとはさっぱりする気質を今日に伝えている。神田明神、三社(さんじゃ)(浅草)、深川などの祭りを盛んにし、つげ櫛(ぐし)、江戸玩具(がんぐ)、足袋(たび)、江戸小紋(こもん)などの伝統工芸を残し、佃煮(つくだに)、海苔(のり)、人形焼などの名物をたいせつにし、さらに藪(やぶ)・更科(さらしな)・砂場(すなば)のそば、築地(つきじ)のすし、新橋のてんぷら、駒形(こまがた)のどぜう(どじょう)など江戸の味を自慢する。関東大震災、さらに第二次世界大戦で多くの古い建築を失い、大半が焼失した。しかし、随所に焼失を免れた下町情緒の濃い町並みをみることができる。人形町、浜町(はまちょう)、佃島(つくだじま)、浅草、向島(むこうじま)、富岡(とみおか)などはその典型である。しかし、自動車の急激な発展によって多くの水路が埋められ、水を失ったことは寂しい。[沢田 清]

下町の変容

前述の通り、下町を狭義にとらえると、下町は隅田川以西を中心として6区をさす。しかし、東京の市街地の拡大に伴ってその範囲も広がり、江戸川以西までも加わり、一方、北方向にも拡張した。すなわち、上記6区に足立・葛飾・江戸川そして北・荒川各区が包含されて、広義にとらえられることもある。
 東京駅を中心として、旧丸ノ内ビルや旧国鉄本社跡地などにはオフィスやホテルの入居する高層ビル群の建設が進められている。また鉄道発祥の地である旧新橋駅のあった汐留(しおどめ)地区も31万平方メートルの面積に巨大なオフィス街の建設が着工され、継続的な街づくりをコンセプトに発展を続けている。2011年(平成23)、丸の内・大手町、日本橋・京橋、銀座、新橋・虎ノ門などの各地区は東京都心・臨海地域としてアジアヘッドクォーター特区に指定された。その他、品川駅周辺、千代田区の低層住宅地区、中央区の百貨店跡地などでも高層ビル化が進められている。この高層ビル進展の背況には、都心部の機能の変化がある。かつては中枢管理機能のビルが中心であったが、経済の高度化によって知的生産機能も加わり、都心も生産の場となった。そして、高度技能者は生産の質を高めるために、職住近接を望むようになった。そのため、高層ビル内には賃貸住宅も多い。また、1990年代に入って地価が下落したことも、高層ビル建設に拍車をかけた。
 2012年には墨田区に、高さ634メートルの東京スカイツリー(世界一高い自立式電波塔)が電波塔・観光施設として開業した。周辺に商業施設やオフィスビルなどが併設され、これらを含め東京スカイツリータウンと通称される。
 東京湾岸には、ウォーターフロントの「臨海副都心」が計画された。超近代的なオフィスビル、商業施設、スポーツ施設、高層住宅や学校などがすでに建ち始めている。「職・住・学・遊」の融合を目標として、新交通システム「ゆりかもめ」、東京臨海高速鉄道「りんかい線」の2本の鉄道と幹線道路が都心に結び付いている。
 隅田川を中軸として「川の手」と呼称する人もいる。「川の手」は「山の手」に対する名称である。いずれにしても河川が多く、その親水性を確保してアメニティ(快適性)と防災性を高める試みが、見沼代(みぬまだい)親水公園(足立区)をはじめ中川(葛飾区)、古川(江戸川区)、大横川(墨田区)などに沿ってなされている。一方、北・荒川・足立・葛飾・墨田・江東・江戸川各区では、小工場が多いが、閉鎖したり地方への分散も目だち、工場跡地の集合住宅化が進んでいる。かつては小規模な伝統工業がほとんどであったが、工業の高度化が進んでいる。たとえば、台東区や墨田区などのファッション関連産業(衣服・靴・ハンドバッグ・装飾品など)に代表されるように新しい工業への転換もみられる。
 東京の人口が増えて、人口の地域間移動や空間利用の変容などが著しくなるとともに、人口の空洞化によって自治会などを通しての共同体意識も低下し、下町という概念は地区内外の人々の意識から薄らぎつつある。[高橋伸夫]
『朝日新聞社編・刊『東京・下町』(1987) ▽那和秀峻著『隅田川――流れに映る下町の哀歓』(1987・東京新聞社出版局) ▽八木澤壮一他著『都心の土地と建物――東京・街の解析』(1987・東京電機大学出版局) ▽横田貢著『べらんめぇ言葉を探る』(1992・芦書房) ▽野村圭佑著『隅田川のほとりによみがえった自然』(1993・プリオシン) ▽諸河久写真、林順信文『都電の消えた街――東京今昔対比写真(下町編)』(1993・大正出版) ▽新潮社編・刊『江戸東京物語(下町篇)』(1993) ▽町村敬志著『「世界都市」東京の構造転換――都市リストラクチュアリングの社会学』(1994・東京大学出版会) ▽芦原義信著『東京の美学』(1994・岩波書店) ▽春風亭小朝・秋元康他著、荒木経惟・高梨豊他写真『私だけの東京散歩(下町・都心篇)』(1995・作品社) ▽田沼武能著『下町今昔物語――田沼武能写真集』(1996・新潮社) ▽桐谷エリザベス著、桐谷逸夫訳・画『消えゆく日本――ワタシの見た下町の心と技』(1997・丸善) ▽北畠康次著『歴史資料 東京下町の範囲の変遷図』(1997・メグミ出版) ▽加藤昌志写真『「深川・木場」下町のぬくもり』(1998・人間の科学社) ▽荒俣宏著、安井仁写真『江戸の快楽――下町抒情散歩』(1999・文芸春秋) ▽山下宗利著『東京都心部の空間利用』(1999・古今書院) ▽『ウォーキングナビ東京 山手・下町散歩』(2001・昭文社) ▽石井實著『東京 写真集・都市の変貌の物語1948~2000』(2001・KKベストセラーズ)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の下町の言及

【東京[都]】より

…日露戦争直後の日比谷焼打事件(1905),東京市電争議(1911)に始まり,護憲運動(1912‐13),廃税運動(1912)などの都市民衆運動の展開を背景に,大正デモクラシーの動きは,第1次大戦期の東京の米騒動(1918)に至って,その頂点に達した。 1923年の関東大震災は,死者約10万人,損害55億円(内務省調査)の被害を出し,下町を中心に全市に壊滅的打撃を与えた。〈明治の東京〉は崩壊し,〈帝都復興〉とともに,以後,東京は新たな段階を迎える。…

※「下町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

下町の関連キーワード城府都市施設指定都市市長会都市の遺言都市のトパーズ掠奪都市の黄金都市階級帯状都市都市の縮小アーバンツーリズム

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

下町の関連情報