日本歴史地名大系 「内之浦郷」の解説
内之浦郷
うちのうらごう
肝属郡に属する外城で、現内之浦町域にあたる。北東から南西にかけて同郡
近世初期には高山外城に属し、寛永一〇年(一六三三)の高山衆中帳(二階堂進家文書)によれば内之浦居住の衆中は四家(役人三人)・六人、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
肝属郡に属する外城で、現内之浦町域にあたる。北東から南西にかけて同郡
近世初期には高山外城に属し、寛永一〇年(一六三三)の高山衆中帳(二階堂進家文書)によれば内之浦居住の衆中は四家(役人三人)・六人、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...