内之浦郷(読み)うちのうらごう

日本歴史地名大系 「内之浦郷」の解説

内之浦郷
うちのうらごう

肝属郡に属する外城で、現内之浦町域にあたる。北東から南西にかけて同郡高山こうやま郷、大隅郡大根占おおねじめ郷・田代たしろ郷・佐多さた郷に接する。小之郷に位置づけられ(列朝制度)鹿児島城下からの距離は古江ふるえ筋で一九里、うち海路八里、陸路は福山ふくやま筋で二八里(「薩藩政要録」など)

近世初期には高山外城に属し、寛永一〇年(一六三三)の高山衆中帳(二階堂進家文書)によれば内之浦居住の衆中は四家(役人三人)・六人、岸良きしら居住の衆中は二人(行司二人)であった。同一七年南浦みなみうら(南方)小串こぐし(北方)・岸良の三ヵ村が高山外城から分れて一外城を構成した(高山名勝志・内之浦町史)。同年の高山衆中軍役帳(二階堂進家文書)によれば、同一〇年岸良へ派遣されていた衆中二人と内之浦へ派遣されていた一人は同一七年には高山へ復帰しているが、内之浦へ派遣されたほかの三家は記されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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