内匠堀(読み)たくみぼり

日本歴史地名大系 「内匠堀」の解説

内匠堀
たくみぼり

元和―寛永年中(一六一五―四四)行徳領諸村の灌漑・排水を目的として開削されたと伝える用悪水路。開削者は当代島とうだいじま(現浦安市)の田中内匠と行徳ぎようとく源心げんしん寺の大檀那狩野浄天(北条家臣狩野主膳の子)といわれ、浄天じようてん堀ともいう。「葛飾誌略」などによると内匠・浄天の両名が用水開削の公許を得たのは元和六年のことで、道野辺みちのべ(現鎌ヶ谷市)囃子水はやしみず(囃水)の池から引き、流路延長は三里余、当代島村船圦ふないり川に落ちていた。八幡やわた圦樋より上流は富貴ふき(フウキともいう)とよばれた自然流路で(ほぼ現在の北方用水・大柏川に相当すると思われる)、同圦樋から下流が当堀にあたり、「葛飾誌略」では八幡圦樋から当代島村までの堰の長さ四千三一四間、川幅は二間、水掛高約一万石であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報