20世紀日本人名事典 「内山孝一」の解説 内山 孝一ウチヤマ コウイチ 昭和期の生理学者,医史学者 元・日本大学医学部教授。 生年明治31(1898)年6月 没年昭和53(1978)年6月20日 出生地新潟県 学歴〔年〕東京慈恵会医院医学専門学校〔大正12年〕卒 学位〔年〕医学博士 経歴大正12年慈恵会浦本政三郎教授に師事、同専門学校助教授を経て、昭和8年4月東京帝大医学部生理学教室の研究員となり、橋田邦彦教授に師事。14年8月日本大学医学部教授。15年橋田教授が近衛文麿内閣の文部大臣となり、その秘書官を務めた。日大では心臓生理の研究に終始、また医学史にも通じ多くの論文を発表した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内山孝一」の解説 内山孝一 うちやま-こういち 1898-1978 昭和時代の生理学者,医史学者。明治31年6月15日生まれ。母校東京慈恵医大の助教授をへて日大教授。東京帝大の研究員時代に師事した橋田邦彦が文相になったとき秘書官をつとめた。日本医史学会理事長。昭和53年6月20日死去。80歳。新潟県出身。著作に「和蘭事始」「明治前日本生理学史」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by