内島見上興野(読み)うちしまみかみごうや

日本歴史地名大系 「内島見上興野」の解説

内島見上興野
うちしまみかみごうや

[現在地名]豊栄市鳥屋(とや)

北東は佐々木下(ささきしも)新田、北は内島見村、南西は須戸(すど)新田に接する。鳥屋・芋黒(いもぐろ)とも称する。享保一三年(一七二八)の新発田藩による阿賀野川松(まつ)ヶ崎(さき)本流化により干上がった島見前(しまみまえ)潟の跡地に成立したと思われる。元文二年(一七三七)検地を受け、開村当時から宝光(ほうこう)寺(現新発田市)所有の五十公野(いじみの)(現新発田市)の石仏(せきぶつ)庵の石仏料田二反余があった。宝暦四年(一七五四)幕府領となったと思われ、同九年には検地の延期願を水原(すいばら)代官所に提出し、さらに当新田庄屋長兵エは代表の一人として江戸評定所の尋問を受けている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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