内本町橋詰町(読み)うちほんまちはしづめちよう

日本歴史地名大系 「内本町橋詰町」の解説

内本町橋詰町
うちほんまちはしづめちよう

[現在地名]東区内本町橋詰町

西町奉行所を挟んで豊後ぶんご町・内平野うちひらの町の南にある横町。町内を本町橋ほんまちばし筋、鑓屋やりや町の通り、常盤ときわ町の通りが通る。東横堀ひがしよこぼり川東岸にあり、同川に本町橋が架かる。「当代記」に、慶長五年(一六〇〇)七月一五日東軍との合戦に備える「大坂惣構口々番手」の一として「本町筋橋」とみえる。寛文期(一六六一―七三)貼札をもつ大坂町中並村々絵図によると、当町の北に内本町代官所とはまノ御蔵がある。同蔵は河内方面からの幕府領年貢米を納めた(布施市史)。奉行所は享保九年(一七二四)三月の妙知焼ののち、谷町たにまち筋の一筋東に移った塩噌舂屋跡へ移転してきたもので、奉行所裏の松屋町まつやまち筋を御蔵前おくらまえという(大坂三郷町中御取立承伝記)

初発言上候帳面写に「内本町下三丁内正円町・西入町・太郎左衛門町但、内本町橋詰町同二丁目ヨリ成ル」とあり、三町が二町になったように記される。しかし、明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図では東隣の内本町二丁目のところに西入さいにゆう町とあり、また太郎左衛門たろうざえもん町はその東の内本うちほん太郎左衛門たろうざえもん町にあたるので、当町は正円しようえん町にあたると考えられる。正円町の町名は、当町に住して寛永三年(一六二六)から同一三年まで南組惣年寄を勤めた野里屋正円(三郷惣年寄家筋書「大阪市史」所収)が当町を開発したことを意味するものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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